1334 |
建武の新政の開始 |
1335 |
足利尊氏挙兵
島津貞久に櫛間院(くしまいん)の野辺盛忠の討伐が命じられる
工藤祐経から6代の伊東祐持が都於郡(とのこおり/西都市)に下向
木脇祐広、諸県荘八代城(国富町)に拠り祐持に抵抗
島津忠宗の子時久、新納院(にいろいん)地頭職となり高城(木城町)に入り新納氏と称する
木脇祐広ら国富荘、穆佐院に乱入
祐持、田島祐貞・祐勝兄弟の宿所、上田島荘堤を焼き払う。また、穆佐(むかさ)城の祐広を駆逐 |
1336 |
後醍醐天皇吉野へ逃れる
肝付兼重ら、国富荘・浮田荘に乱入
図師六郎入道慈円、南朝方として宮崎城に拠るが県の土持新兵衛宣栄に攻め落とされる
宣栄、伊東祐持ら南朝方の木脇祐広を八代城・猪野見城に攻める
足利尊氏、畠山直顕を肝付兼重討伐に派遣する |
1337 |
肝付方の三俣院石山城が落城
畠山直顕、穆佐城に入城
畠山直顕、土持宣栄を宮崎郡大墓別符の地頭職に補任する |
1338 |
足利尊氏、征夷大将軍に任じられる
八代城の木脇祐広、飫肥・櫛間の野辺盛忠、それぞれ畠山直顕に降伏 |
1339 |
肝付兼重方の島津荘大岩田城、三股院高城が落城 |
1341 |
南朝が芝原又三郎性虎に高知尾荘(高千穂町)にあった三田井明覚の旧領を安堵 |
1347 |
征西将軍宮懐良親王、塩見・富高郷を筑後の国人・草野澄算に宛行う |
1348 |
恵良惟澄、南朝方の日向守護職となる
伊東祐重(氏祐)、家臣の山田氏、河崎氏らとともに下向 |
1350 |
畠山直顕、新納時久の拠った高城を攻め落とす |
1351 |
楡井頼仲らが志布志などで足利直義・直冬方の畠山直顕と戦う(観応の擾乱のひとつ) |
1352 |
島津貞久、足利尊氏の命で穆佐院の畠山直顕を攻める
畠山直顕・重隆父子が大隅国に侵入。肝付氏は降伏し島津氏は鹿児島に敗走
島津貞久の弟・資忠、諸県郡北郷安永村に入り北郷(ほんごう)氏を称す |
1357 |
畠山直顕、大隅国加治木城で島津氏と戦って敗れ穆佐に逃れる |
1358 |
菊地武光、畠山直顕・重隆父子の穆佐城を攻めおとす |
1361 |
菊池武光、征西将軍宮懐良親王を擁して日向に入る |
1368 |
明が中国を統一する |
1375 |
北郷資忠の子・誼久、諸県郡都島(都城市)に築城し都之城と名付ける |
1376 |
今川満範と伊東氏祐、都城の北郷氏を攻める。島津氏久は北郷氏を助ける |
1377 |
蓑原合戦(都城市)。北郷義久は今川満範を破り伊東祐基が討死するが、翌日は島津氏久が今川方に敗北を喫す |
1387 |
今川了俊の子貞兼、穆佐院に入る |
1392 |
南北朝の合一
李氏朝鮮が成立 |
1533 |
伊東祐清(後の義祐)、一族の内訌を制し都於郡城に入る
伊東祐清、北原氏に三俣院高城を割譲 |
1534 |
宮崎郡長嶺の地頭・長倉能登守、祐清の弟・祐吉を擁して宮崎城に入る。祐清は難を避け出家 |
1536 |
伊東祐吉が宮崎城で没す。祐清、還俗し佐土原に入城 |
1537 |
伊東祐清、従四位下に叙される。また、足利義晴の偏諱を賜り義祐と改名
佐土原城が炎上し、義祐は宮崎城に移る |
1541 |
伊東氏の臣・長倉能登守が反乱を起こすも敗死
義祐、飫肥を攻める |
1542 |
伊東氏と北原氏が連合し、三股院高城の北郷忠相・島津忠広と戦う |
1543 |
種子島に漂着したポルトガル商人より鉄砲が伝えられる
伊東義祐、烏帽子嶺砦(日南市)を攻め落とす。
飫肥城の島津忠広、豊後の大友氏に取りなしを要請 |
1545 |
義祐、鬼ヶ城(日南市)を攻め落とす |
1546 |
義祐、従三位に叙される |
1548 |
義祐、再び剃髪し三位入道と称す |
1549 |
フランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸
義祐、飫肥城の島津忠親を攻める |
1551 |
陶晴賢が大内義隆を攻め滅ぼす |
1560 |
桶狭間の戦い |
1562 |
義祐、一時飫肥を落とすが、すぐに島津氏が奪回 |
1568 |
織田信長が足利義昭を奉じて京に入る
義祐、ようやく飫肥を攻略。伊東氏版図のピークを迎える
義祐、島津忠平(後の義弘)と飯野で戦い撃ち破る
落合兼朝『日向記』の前半を編纂 |
1571 |
姉川の戦い |
1572 |
木崎原の戦い。伊東勢、島津忠平に大敗を喫す |
1573 |
織田信長が足利義昭を追放し、室町幕府が滅亡 |
1575 |
長篠の戦い |
1576 |
高原城の戦い。伊東勢、島津氏に再び敗北 |
1577 |
土持氏が門川を攻撃
伊東氏の臣・福永丹波守(野尻城主)が島津氏に内通。義祐が孤立
伊東義賢が家督を継ぐ
伊東義祐、一族とともに都於郡城から豊後に向けて出奔 |
1599 |
島津忠恒(後の家久)、伏見屋敷で伊集院幸侃を誅殺。幸侃の子・忠真、都之城に拠り、島津氏と戦う(庄内合戦) |
1600 |
徳川家康の仲裁で庄内合戦が終息。伊集院忠真は頴娃(えい・鹿児島県)に移り、北郷長千代(忠能)が都城に復帰
関ヶ原の戦い。佐土原城主島津豊久、「関ヶ原の退き口」の最中、討死
伊東氏の臣・稲津掃部助、高橋元種の宮崎城を攻め、城将の権藤種盛討死(関ヶ原の戦い南九州編)
豊久の死により、佐土原が徳川領となる |
1601 |
島津以久に佐土原領が宛行われる |
1602 |
島津忠恒が上洛の途中、野尻で伊集院忠真を謀殺 |
1603 |
徳川家康が征夷大将軍となり、江戸に幕府を開く
県城(あがたじょう/延岡市)が完成。高橋元種が松尾城より移る |
1604 |
秋月種長、本拠を櫛間(串間市)から財部(高鍋町)に移す |
1613 |
県藩主・高橋元種、罪人を匿ったため改易。奥州棚倉藩にお預けとなる |
1614 |
肥前日野江より、有馬直純が延岡に転封される
大坂冬の陣。秋月種長、有馬直純ら参陣 |
1615 |
大坂夏の陣。豊臣氏滅亡
徳川幕府が武家諸法度、禁中並公家諸法度を制定
一国一城令により、日向国でもほとんどの城が廃城となる |
1619 |
椎葉山騒動発生。幕府の命により相良長毎がこれを鎮圧。椎葉山は阿蘇宮預かりとなる |