1993年に小学6年生の担任をしていたときに、エイズを教材として授業を行いました。そのときの授業は、まず理科と保健の授業2時間ずつ行い、血液のはたらきや免疫の仕組みといったことからエイズという病気について理解させました。その上で道徳の時間で人権学習をしました。その中では鹿児島県内の病院で療養中であった、故吉松満秀氏から子どもたちへの手紙が教材となりました。
彼の存在を知ったのは朝日新聞の記事がきっかけでした。それによると彼は、自らと闘いつつもエイズ患者やHIVに対する偏見がなくなるように各方面に手紙を書いて、人々に対する意識向上に貢献しているということです。そして自分ができることは協力したいと考えているということでした。病気になったり、障害を持って苦しんでいる人に「子どもの教育に役立つから協力してくれ」などとお願いするというのはまさしく人権侵害ですが、この人は自分でできることは協力したいと希望しているのだからお願いしてもいいのではないかと思いました。そこで新聞記事を書いた藤原泰子記者に相談して、彼の入院している病院まで会いに行くことにしました。
それまでに私はいろいろな本で勉強して、エイズの感染経路についてはよく知っていました。つまり、感染者の病室で話をしても握手をしても感染しないことは頭ではわかっていたのです。しかし、実際に会いに行くとなると「怖い」という気持ちがなかったわけではない。病院に向けて運転していても身体がこわばっているのがわかるんです。それでも何とか病室に彼を訪ね、子どもたちに手紙を書いてほしいとお願いしました。その時病室で奥さんが缶のジュースを出してくれました。今になるとどうしてそんなことが・・・と思うのですが、その時の私はその場でそれを飲むことができませんでした。
そうして吉松氏からの手紙を用いての授業を行いました。ジョナサン君の本の紹介やライアン=ホワイト君のビデオなどで感染者が差別を受けている現実といくつかの注意点を守って共同生活している例を通して今まで学習してきた「正しい知識があればともに生きていける」ことを確認しました。そして「先生は実際に患者さんにお会いしました。」と彼からもらった手紙を紹介しました。その時に自分が「怖い」と思ったことは子どもたちには言いませんでした。しかし、今は言わなかったことを後悔しています。教師というのは子どもたちの前で完璧であろうとしてしまいがちですが、決してそんなはずはない。教師も生身の人間なのですから。自分の感情を正直に話した方が、子どもたちにもより伝わると思うのです。子どもたちは手紙を熱心に読んで、返事を書きました。その手紙を届けるため、再び病室を訪れました。後日、子どもたち一人一人の名前を挙げて返事が来ました。それを真剣に読んで子どもたちは再び一生懸命に返事を書きました。卒業式には祝電もいただきました。
保護者の反応も「やってもらってよかった」「家でもエイズのことを話したんですよ」とおおむね好評でした。一部の年輩の先生より、小学校で性交を教えることについて疑問の声もありました。実は、この授業に先立ち、そのことについては保護者に了解を取っておいたのです。家庭での保護者の対応のためにもこういう準備は必要だと思います。また、性交について教えると「先生もセックスしたことがあるんですか」という質問が出てくるということが十分に考えられます。私は結婚して子どももいることですから、「あるよ」と答えます。しかし、独身の先生などは対応が難しいでしょう。「そういうことは個人のプライバシーに関することだから、むやみに話すことではない」ということを教えることも大切だと思います。
私の願いに快く手紙を書いてくれた吉松さんの人となりについては、彼の手記である「原告番号十二番」等でご存じの方もあるかもしれません。緊張してぎこちなかった初対面でしたが、その後彼は私の大切な友人になりました。この授業が終わっても、たびたび病室に行って、そのたびにいろいろな話をしました。いつもすぐに時間が過ぎてしまいました。病気と闘いながら、体力的には苦しいはずですが、いつでもバイタリティあふれていて付き合っていて楽しい人でした。だんだん弱ってきているのは聞いていたのですが、そのたびに何とか持ち直すということを繰り返していました。危篤の連絡を受けたとき、少し飲んでいたので、運転ができず病院に行くことができなかったのは今でも残念でたまりません。今度もきっと大丈夫だと思っていたのに、翌日、彼の死を知らされたときはショックでした。
今回はエイズを取リあげて授業をしたわけですが、単にエイズという一つの病気のことではなく、命の大切さや人権について学び、他の障害を持つ人や、社会的に弱い立場にある人のことを思いやれることが大切だと考えています。これからもその方針で授業をして行くつもりです。
参考資料
人権問題としてのエイズ教育
鹿児島県薩摩郡市比野小学校・蔵満逸司
はじめに
エイズという病気が人類を脅かしている。感染者・患者が身近なところで生活をしていたとしても少しも不思議ではない状態になりつつある。教師にとって、エイズを教育現場でどう扱うかは重要な課題となっている。本論では、人権問題としての側面からエイズ教育を考え、六年生を対象とした授業実践を中心にまとめてみた。
- 性教育からエイズ教育ヘ
『命の学習』として第一部性教育(8時間)第二部エイズ教育(5時間)の計13時間の指導を行った。性教育は、次の3点を学習目標とした。
- 人間の身体を科学的に認識させる。
- 性はプライベートなものであることを認識させる。
- 性犯罪の事実を認識させ対策を考えさせる。
隠さず照れずに指導を行えば児童は感動しながら真剣に性教育を受ける。性交までの
性教育が本格的なエイズ教育の前提条件である。
- エイズ教育の概要
- エイズ教育の目的
- エイズについての正しい科学的認識を持たせる
- エイズ感染者等に対する差別や偏見の意識を持たせない
- エイズ感染者とともに生きていく社会のありかたを考えさせる
- 授業の流れ(全5時間)
※アンケート
- 血液の働きは酸素と栄養の運び役だけなの?
・血液の種類と働き
- 血液と免疫
・白血球の働き
- エイズ1
・エイズウィルスの体内での働き
- エイズ2
・感染ルート
- エイズ3
・無知からくる差別
・人権問題としてのエイズ
- 人権問題としてのエイズ教育(5時間目)
- 指導目標
- 誰に対しても差別をすることや偏見を持つことなく公正、公不にし、正義の実現に務
めるようにさせる。
- 生命がかけがえのないものであることを知り、自他の生命を尊重するようにさせる。
- 本時の展開
<説明>
ジョナサンというアメリカの子どもが書いた絵本を少し読みます。
『ぼくが、どうしてエイズにかかったかを話そう。ぼくは1983年3月19日に生まれた。だけど未熟児だったのさ。それは、ぼくが予定の日より早く生まれたっていうこと。たった1868グラムしかなかったんだ。そこでだれかから輪血をしてもらう必要があったんだ。まさか、ぼくがもらった血液にエイズウィルスが入っていたなんてだれもしらなかった。ウィルスがぼくの血液に入ってきてぼくはエイズになってしまったんだ』(中略)
ジョナサンは今9歳。元気に病気と戦っているそうです。写真がたくさん入った絵本です。教室に置くのでぜひ読んでみてください。(『ぼくジョナサン、エイズなの』ジョナサンウェルツ シャロンシーリング著、大月書店刊)
子どもたちは、幼いジョナサンからのメッセージを真剣に聞いた。
<発問>全世界で1200万人、日本中で25,000人いるといわれているエイズ感染者ですが、鹿児島県にはエイズ感染者はいるかどうか聞いたことがありますか。
「いるって聞いたことがある」
「どうなのかなあ」
<説明>
県内にはっきりわかっているだけで20名の感染者がいます。そのうち発病している患者は4名。このほかにすでになくなっている人が2人おられるそうです。新聞に患者さんの一人が紹介されていました。
鹿児島県内の病院に入院している患者のAさんを紹介している新聞記事(朝日新聞鹿児島県版1992年11月19日)を配り説明した。Aさんは血友病患者で血液製剤から感染した。現在多方面にエイズ啓蒙のための手紙をワープロで書き送り人々の意識向上に大きな役割を果たしている。
<発問>Aさんはこの記事のなかで「病気で死ぬより噂で死ぬ方が怖い」と言われています。噂で死ぬとはどういうことでしょうか。プリントに書いてみましょう。
「正しくないことを噂されるのがいや」
「家族がいじわるされるのは困る」
「いろいろ良くないことを言われて死にたくなるのがいや」
「差別されるから」
<説明>
みんなの考えはどれも合っていると思います。Aさんが本名も顔の写真も公表しない理由がわかるような気がしますね。エイズに感染したことで差別を受けることがあります。いくつか例を紹介しましょう。ビデオで紹介します。
- 登校を拒否された少年、ライアンホワイト君(説明略)
- 他の選手が感染を心配するので、とうとう引退することになったプロバスケットのスーパースター、マジックジョンソン(説明略)
4時間目にエイズの感染ルートについて学んだ子どもたちは、普通の生活のなかではエイズが簡単にうつらないことを知っているので、ビデオで見せられる現実の差別に納得がいかないようすである。
ビデオで、感染者と非感染者がいくつかの注意すべき点はしっかり守りながら共同生活をしている場面を見せ、学習してきたことを確かなものにする。
<説明>
エイズについての正しい知識があれば、ともに生きて行くことが十分可能です。
<指示>先生は、新聞にのっていた鹿児島の患者さんAさんにお会いしてきました。力強く病気とたたかっておられました。Aさんは、君たちへ手紙を書いてくださいました。配ります。自分で読んでみてください。
私は記事を読み、エイズという難病と闘いながら、啓蒙活動を精力的に続けているAさんにぜひお会いしてお話を聞きたいと思った。そこで記事を書いた朝日新聞の藤原泰子記者に相談し、Aさんとの連絡をとってもらい、お会いする機会を得た。Aさんは子どもたちへ長い手紙を書いてくださった。
<Aさんの手紙から>
エイズにかかれば、いつかは死んでしまう恐ろしい病気ではあるが、たとえ君たちの友達にエイズ患者がいたとしても日常生活においては決してうつらないのです。だから、その子をいじめたりしないで遊んでほしいのです。
子どもたちは、患者さんからの手紙を熱心に読んだ。
<指示>Aさんは、君たちからの返事を楽しみにされています。自分の言葉で手紙を書いてください。みなさんの手紙は先生がAさんに直接お届けしてきます。
<子どもの手紙から>
- エイズに感染した人たちは一日一日を大切にしていると思います。エイズに負けないでください。
- 体のなかにマクロファージとかT4細胞とかがあるとは知りませんでした。エイズの学習をしていろいろなことを知りました。エイズのことを知っていてよかったという日がくると思います。がんばってください。
エイズの学習5時間を終えての感想には、子どもたちの素直な心が読み取れる。
<子どもたちの感想から>
- ノーベル賞めあてじゃなくて、人の命をすくうために薬をつくってほしい。このクラスから将来エイズになる人は何人いるんだろう。こんなにたくさん大事なことを勉強したんだからエイズになる人はいないだろう。私はエイズになりたくない。
- 患者Aさんとの子どもたちの心の交流
子どもたちの手紙を届けに行くと、Aさんは明るい笑顔でベッドの上に座っていた。Aさんは、難病と闘っているとは思えない強いバイタリティを感じさせる人だ。この日も一時間ほど話を聞かせてもらった。
数週間後、Aさんから子どもたちへの二度目の手紙が届いた。7枚に及ぶ手紙の大部分は、子どもたち一人一人への名前をあげての返信という形で書かれていた。
<Aさんの手紙から>
たとえエイズであっても自分に与えられた命を大事にしつつ、精一杯生きようと思っています。大人になり人の苦しみや悲しみをお互い分かち合えるような、心の広い女性になってほしいと願っています。
子どもたちは時間をかけて熱心に読み、再度返事を書いた。
<子どもたちの手紙から>
- エイズを前向きに考えるAさんは偉いなあと思いました。
- エイズの正しい知識と恐ろしさを知ることができたのはAさんのおかげです。一人でも多くの正しい理解者をふやしてください。
- エイズ感染者や患者さんを差別する人たちは差別をする前にエイズに関する正しい知識を持ってもらいたいと思いました。
- エイズ患者の人を怖がらないで普通にしていればいいと思います。
この手紙を届けた一週間後の卒業式に、Aさんから心のこもった祝電をいただいた。
- まとめ
子どもたちはエイズの学習に真剣に取り組むなかで、正しい知識を持つことが差別をなくす一つの大きな力になることを学んでいった。
試行錯誤を繰り返しながらの実践であったが、目的として掲げた3点は、ある程度達成されたように思う。
今後も、担当学年の発達段階に応じてエイズを教材化して指導していきたい。
<月刊「どの子も伸びる」93年6月号掲載>
参加者アンケートより
蔵満先生の人に対する暖かいまなざしと、子どもたちの優しさに触れることができた。私たちはもっと子どもたちから学ばなくてはいけないようです。先生のおっしゃられた「エイズだけではなくもっといろいろな環境にある人たち」を知ることも大切と言うことには本当に賛成です。結局、行き着くところは「人間」そのものですね。これからもいっそうの御活躍を期待しております。
現職の方の実践したことの報告だったのでたいへん勉強になりました。特に知識が頭に入っているのに、実際にエイズの方と会うとなると身体がこわばったり、奥さんが買ってこられたジュースを飲めなかったという話が心に残りました。私自身、この話を聞く前に、自分自身が偏見を持っている気がしたので、少し気持ちが楽になりました。これからいろいろ勉強して、子どもたちに私も伝えていきたいと思います。