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日向市の城館

町の情報/日向市日向市観光協会

秋留
あきどめ

所在地 日向市平岩ウド山、下ノ堀

麻付陣
あさつけじん

所在地 日向市幸脇麻付

概要 大友義統の陣の跡。

御仮屋
おかりや

所在地 日向市美々津上別府

概要 近世高鍋藩関連の仮屋敷跡だが、中世に城郭関連の施設が存在した可能性も。

垣添
かきそえ

所在地 日向市富高垣添、前田

概要 単郭式の居館跡。近くに「的場」という地名がある。

草場
くさば

所在地 日向市富高古城ヶ鼻

概要 主郭部分は公園化により消滅。西側の腰曲輪のみが残る。

小原城
こばるじょう

所在地 日向市塩見

権現城
ごんげんじょう

所在地 日向市富高千束口

概要 現在は、鉄塔が立っているらしい。

塩見城
しおみじょう

所在地 日向市塩見蔵ノ後、古城内、上ノ坊、中山、中山尾崎、中山後

築城者 土持氏

概要 1457(長禄元)年の小浪川の戦で財部土持氏が滅びると、伊東氏のものとなる。伊東氏48城のひとつ。また日知屋城、門川城とともに「日向三城」といわれた。伊東氏の族将、右松氏の居城。伊東義祐の出奔後、城主の右松四郎左衛門は、島津に人質を出しながら、大友宗麟の日向侵攻の際はその先鋒となり耳川の戦いで討死。その後薩摩領となり、豊臣秀吉の九州仕置で延岡藩領。一国一城令で廃城。

庄手城(仮称)
しょうでじょう

所在地 日向市日知屋庄手

新城
しんじょう

所在地 日向市日知屋管ヶ迫、長谷、門川町門川尾末

概要 街道沿いの関所的な城跡。

竹ノ上城(仮称)
たけのうえじょう
所在地 日向市日知屋竹ノ上

概要 仏舎利塔のある櫛ノ山の北東の段丘上にある。南北朝期に甲斐上総守が築いたという「日知屋之城」(『定善寺文書』)にあたる。

高平城(仮称)
たかひらじょう

所在地 日向市塩見久保、中切畑

概要 塩見城関連の居館跡か?1991〜92年の発掘調査で堀立柱建物が検出されている。

日志原城
ひしばるじょう
所在地 日向市美々津町
日知屋城
ひちやじょう

所在地 日向市日知屋伊勢道

築城者 おそらく土持氏

概要 伊勢が浜の南側の岬部分に築造された城。伊東氏48城のひとつ。門川城、塩見城とともに日向三城ともいわれる。元は財部土持氏の城だったが、1457(長禄元)年、伊東祐尭によって財部土持氏が滅亡(小浪川の戦)した後伊東氏のものとなった。祐国の弟祐邑(すけむら)が城主のとき、祐邑は謀反の疑いで本家の尹祐(ただすけ)に暗殺される。伊東義祐の出奔後大友VS島津の最前線となり、大友氏の将(海賊衆)薬師寺兵庫守が守ったという。耳川の戦い(1578年)の後島津領となったが、豊臣秀吉の九州仕置で延岡藩領となる。一国一城令で廃城。

本村城
ほんむらじょう
所在地 日向市平岩本村、登り立
籾木ノ城
もみきのじょう

所在地 日向市平岩籾木前田、南谷、馬ノコ子

概要 薩摩の士・籾木某の居城と伝わる。一種の見張り所ではないかと推定されている。

日向市東郷町の城館

 

坪谷城
つぼやじょう

所在地 日向市東郷町坪谷本村

概要 伊東氏48城のひとつ。城主として米良休助重時、松尾下総守の名が残る。

坪谷出城(仮称)

所在地 日向市東郷町坪谷本村、馬飼出

概要 坪谷城の詰城ではないかと推定されている。

西城
にしのしろ

所在地 日向市東郷町山陰六地蔵

概要 山陰城の支城。河川交通を把握する拠点。

山陰城
やまげじょう

所在地 日向市東郷町山陰小野田

概要 伊東氏48城のひとつ。城主米良氏(米良喜内則村)。1578(天正6)年以降、島津の臣・吉田右衛門が在城。秀吉の九州仕置で延岡藩領。一国一城令で廃城。

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