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木城町の城館

町の情報/木城町役場

石城
いしじょう

所在地 児湯郡木城町石河内城

概要 伊東氏48城のひとつ。城主として長友源次郎の名が残る。南北朝期に築かれたらしい。大友宗麟の日向侵攻時、長倉勘解由など伊東氏の旧臣ががこれに呼応し立てこもった。現在城域内には、武者小路実篤が建設した「新しき村」がある。

岩戸原城
いわとばるじょう

所在地 児湯郡木城町高城岩戸

概要 豊臣秀吉の九州攻めの際の小早川隆景隊の陣所。

古塁

所在地 児湯郡木城町椎木陣ノ内ほか

概要 藤堂高虎、尾藤甚右衛門、黒田官兵衛孝高らの滞陣跡。

高城
たかじょう

所在地 児湯郡木城町高城城山

概要 日向三高城のひとつ。1335(建武2)年、島津時久が新納院に入り新納氏と称した頃に築かれた。その後財部土持氏が領していたが、1457(長禄元)年の小浪川の戦いで財部土持氏が滅び伊東氏のものとなった。

その後伊東氏48城のひとつとなり、野村蔵人佐が城主となる。伊東氏没落後、島津氏の臣・山田新介有信が入る。

1577(天正6)年に大友の大軍に包囲されるが持ちこたえ、耳川の戦いで大友軍を壊滅させるきっかけを作る。また、豊臣秀吉の九州平定の際も、豊臣秀長軍に囲まれるが島津義久が先に降伏したため無血開城となる。かくして「落ちない城」伝説がうまれた。

目白坂塁
ねしろさかるい

所在地 児湯郡木城町椎木新古場

概要 根白坂砦ともいう。豊臣軍の高城攻囲戦の際、宮部善祥坊が陣を構えた。島津氏はここを奇襲しようとするが、事前に察知されて撃退された。

浜口
はまぐち
所在地 児湯郡木城町石河内浜口
平城
ひらじょう
所在地 児湯郡木城町高城平城

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