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清武町の城館

町の情報/清武町役場清武町観光協会

井手ヶ城
いでがじょう

所在地 宮崎郡清武町船引井手ヶ城

ぎにょもん屋敷
ぎにょもんやしき

所在地 宮崎郡清武町加納岩見下

概要 細川小四郎義門の司る政所があったと伝えられる場所。城郭大系には細川氏政所と記されている。義門の子・義遠は綾氏を称し綾地方の領主となった。

清武城
きよたけじょう

所在地 宮崎郡清武町加納城内

概要 伊東氏支族の清武氏が築いたといわれる。1485(文明17)年、飫肥攻めの後詰として伊東祐尭が入る(のち同城で死去)。のちに伊東氏48城のひとつとなり、城主として長倉伴九郎、上別府宮内少輔などの名がある。島津時代は伊集院久宣が入る。豊臣秀吉の九州仕置で伊東氏領に復帰。関ヶ原の戦いの際、清武城主・稲津掃部助は西軍だった高橋元種の宮崎城を攻めとるなどするが、元種は東軍帰順後伊東氏と和睦。その責を問われた掃部助はこの城で誅殺された。

本丸・二の丸・台丸などで主郭を構成し、周辺の丘陵上に郭、城館、寺院を置くなど都於郡城に似た構造となっている。

古城
こじょう

所在地 宮崎郡清武町加納屋敷下

古陣
こじん

所在地 宮崎郡清武町加納古陣

城山
じょう(しろ?)やま
所在地 宮崎郡清武町加納須田木
中山寺城
ちゅうさんじじょう

所在地 宮崎郡清武町加納年神

概要 清武城の出城または外郭のひとつと推定されている。

登能尾山

所在地 宮崎郡清武町加納寺迫

概要 清武城の出城。伊東祐尭の墓がある。

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