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国富町の城館

町の情報/国富町

伊佐生城
いざおじょう

所在地 東諸県郡国富町八代北俣権現迫、伊佐生吹上

概要 天正年間以前の、伊東方の城のひとつ。

市之野城
いちのおじょう

所在地 東諸県郡国富町森永市之野

概要 主郭部分には妙見神社がある。

猪野見城
いのみじょう

所在地 東諸県郡国富町八代南俣巡尾

概要 八代城とともに、南北朝期の南朝方・伊東祐広の拠点となっていた城。

囲城
かこいじょう

所在地 東諸県郡国富町八代北俣堀内

鎌田城
かまたじょう

所在地 東諸県郡国富町本庄地蔵寺、堀内

概要 伊東氏48城のひとつ、本庄城と推定されている。現在は本庄中学校。

仮屋原城
かりやばるじょう

所在地 東諸県郡国富町本庄古城

概要 「日向地誌」に記載あり。

北村・城ノ下
きたむら・じょうのした
所在地 東諸県郡国富町宮王丸北村、城ノ下
木脇城
きわきじょう

所在地 東諸県郡国富町木脇木ノ峰

築城者 伊東氏

概要 工藤祐経の子、伊東祐時が日向地頭職を受領した際、その代官として派遣した庶子のひとり八男祐頼は絹分(木脇)に入り木脇氏の祖となった。その木脇氏が拠った城のひとつで、のちに伊東氏48城のひとつとなり、城主は福永民部四郎。その後島津氏支配を経て、秋月藩領となるが、城は一国一城令で廃城となった。

楠見城
くすみじょう

所在地 東諸県郡国富町深年鳩峯

さじが城

所在地 東諸県郡国富町嵐田寿中

概要 古城ともいう。宮崎市高岡町との境にある、境野峠付近にあったらしい。

礼ヶ城
じがじょう

所在地 東諸県郡国富町深年荒蒔

概要 養鶏場や宅地開発などにより、遺構は破壊されている。

常喜寺堀・水戸堀

所在地 東諸県郡国富町八代北俣常喜寺堀、水戸堀

概要 この辺りにあった多郭式城跡の遺構と推定されている。

精米城
しらげじょう

所在地 東諸県郡国富町本庄尾立

概要 野添地区の南西、標高84mの山頂付近にあったという。

諏訪城
すわじょう

所在地 東諸県郡国富町深年園畑

概要 「日向地誌」に記載があるが、詳細は不明。

田尻城
たじりじょう
所在地 東諸県郡国富町田尻四町迫
谷口城
たにぐちじょう

所在地 東諸県郡国富町深年永迫

概要 別称を寺尾城という。

鶴ヶ城
つるがじょう
所在地 東諸県郡国富町深年鶴ヶ城
東長寺城
とうちょうじじょう

所在地 東諸県郡国富町三名東長原

概要 「日向地誌」「日向纂記」などに記載がみられる。

西堀
にしぼり
所在地 東諸県郡国富町八代北俣西堀
東ノ城
ひがしのしろ

所在地 東諸県郡国富町深年東畑

概要 「日向地誌」に記載があるが、詳細については不明。

平城
ひらじょう

所在地 東諸県郡国富町森永平城

概要 別名を森永城ともいう。

向高城
むこうたかじょう
所在地 東諸県郡国富町向高城平
概要 「日向地誌」などでは、古城との表記もみられる。
守永城
もりながじょう

所在地 東諸県郡国富町森永出水山

概要 伊東氏48城のひとつで、城主として内田四郎左衛門が在城した。

八代城
やつしろじょう

所在地 東諸県郡国富町八代南俣園田

築城者 伊東祐広

概要 南北朝期に築かれ、猪野見城と同じく南朝方・伊東祐広の拠点。1336(建武3)年、北朝方の土持宣栄に攻められた。やがて伊東本宗家のものとなり、一時期一族の八代氏が居城していたが、伊東祐安がこれを追放したこともあった。のちに伊東氏48城のひとつとなり、その頃の城主は伊東新三郎(新介、隠岐守)。義祐の出奔後は島津領となり、相良新介長広が城主となった。

国富町の中世史跡

 

豊臣秀長総陣
とよとみひでながそうじん

所在地 東諸県郡国富町本庄義門寺、下馬場

築城者 豊臣秀長

概要 単に総陣ともいう。豊臣秀吉軍の九州攻めの際、豊後・日向ルートの総大将・豊臣秀長の本陣があった。義門寺はもともと伊東祐国の一族・細川小四郎義門(よしかど)が改築したもの。

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