縣城
あがたじょう |
所在地 日南市戸高字古城ほか |
堰ノ尾砦
いでのおとりで |
所在地 日南市星倉栗殿城
概要 1548(天文17)年、飫肥城と新山城との連絡を断つために伊東氏により築かれた城。 |
犬ヶ城
いぬがじょう
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所在地 日南市松永沢渡〜南那珂郡北郷町大藤
概要 日南市と北郷町の境にある犬ヶ城山に築かれた。 |
上城
うわじょう |
所在地 日南市楠原上城
概要 1485(文明17)年、伊東祐国が飫肥を攻略したとき、本営(楠原の陣)を置いたところという。 |
烏帽子嶺砦
えぼしみねとりで |
所在地 日南市宮浦桑木迫
概要 1541(天文10)年に、島津忠広が築いたもの。1543年に伊東義祐に攻め取られた。大部分サンメッセ日南の敷地と重なっている。 |
鬼ヶ城 おにがじょう |
所在地 日南市東弁分城ヶ平ほか
概要 飫肥攻防戦の拠点のひとつで、伊東氏、島津氏の間で取り合いがあった。1563(永禄6)年に伊東氏が攻略した際は、家臣の小松兵部大夫を配した。 |
飫肥城
おびじょう |
所在地 日南市楠原前鶴跡
概要 古くは飫肥院の院庁があったと推定される。『延陵年鑑』や『日向記』に記述が見られ、1300年代頃から存在したと推定される。その後100年以上にも渡り、伊東・島津の間で攻防戦が繰り広げられた。1568(永禄11)年、伊東義祐が攻め取り、子の祐兵(すけたけ)を置く。伊東氏没落後、島津氏の臣・上原長門守が入るが、豊臣秀吉の九州仕置により秀吉家臣として日向口の案内をした祐兵のものとなり、幕末まで続く飫肥藩の元となる。1684(貞享元)年の大地震で損害を受け修復され、近世城郭として生まれ変わった。
もともとは現在残る城域の10倍近い規模があったが、現在は大手門、犬馬場、本丸、松尾丸が残り、歴史資料館も併設されている。大手門の外には明治初期、元藩主の邸宅となっていた豫章館、近世の武家屋敷跡、飫肥藩出身でポーツマス条約を締結した小村寿太郎記念館などがある。
駐車場 あり
雑感 日南海岸や都井岬と並ぶ県南地区の観光スポット。復元大手門や藩主邸宅などが整備されている一方で、城内に小学校があったり、本丸は林と化しているなどバランス的に不思議な感じもある。日南市観光ガイドボランティアの会による観光案内も実施されている(要予約)。 |
貝殻城 かいがらじょう
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所在地 日南市宮浦鬼ヶ久保
概要 別名、水ノ尾城。1545(天文14)年、伊東義祐が飫肥侵攻の際に築いた城。烏帽子嶺砦のさらに西方にある。 |
鎌ヶ倉砦 かまがくらとりで |
所在地 日南市酒谷乙鎌ヶ倉
概要 飫肥攻防戦の拠点のひとつ。 |
城戸元 きどもと |
所在地 日南市平野岩山 |
酒谷城 さかたにじょう |
所在地 日南市酒谷乙城ノ下、仲前、上松原
築城者 島津氏
概要 飫肥から都城に抜ける街道と酒谷川を扼する交通の要所にあり、島津氏、伊東氏の間で攻防が繰り返された。1568(永禄11)年に伊東義祐が攻め取る。伊東氏48城のひとつとなり、その頃の城主は長倉淡路守。伊東義祐の出奔後は島津領となったが、豊臣秀吉の九州仕置で再び伊東領となり、猛将・山田匡得などが城主を勤めた。一国一城令で廃城。 |
篠カ嶺 ささがみね |
所在地 日南市吉野方篠ヶ城
概要 1568(永禄11)年、伊東義祐の飫肥攻略の際の本陣跡。 |
細砂礫城 さざれじょう |
所在地 日南市板敷隠山
概要 飫肥攻防戦の拠点のひとつ。 |
澤津城 さわつじょう |
所在地 日南市平野城ヶ平 |
白木俣番所 しらきまたばんしょ |
所在地 日南市酒谷甲白木俣
概要 日南ダムからさらに上流にある、近世飫肥藩の番所跡。
※中世遺跡ではありません。 |
新城 しんじょう |
所在地 日南市上方新城
概要 1547(天文16)年、島津氏の一族・北郷将監忠直、同じく源七郎久幸を配したが、伊東氏に攻められ落城したという。 |
陣の尾 じんのお |
所在地 日南市酒谷甲陣の尾 |
瀬平ノ城 せひらのじょう |
所在地 日南市富土(ふと)瀬平
築城者 矢野義元
概要 元弘年間(1331〜34)に、矢野下野守義元が築いた。1541(天文10)年、伊東義祐が攻め取り、上別府常陸守を配した。伊東氏48城のひとつ。旧サボテンハーブ園の西方にあり、主郭の標高は173m。 |
高佐砦 たかさとりで |
所在地 日南市益安堀之内
概要 飫肥城攻略のため、伊東義祐が築いた城。 |
田間砦 たまとりで |
所在地 日南市板敷元仮屋
概要 1485(文明17)年、伊東祐国が飫肥攻略の際築いた。 |
天神ノ尾砦 てんじんのおとりで |
所在地 日南市伊比井坂口 |
東光寺砦 とうこうじとりで |
所在地 日南市戸高鼻操、扇形、下扇形
概要 伊東義祐が飫肥攻略のために築いたもの。 |
中ノ尾砦 なかのおとりで |
所在地 日南市殿所中ノ尾
概要 飫肥攻防戦の拠点。1549(天文18)年、島津の臣・伊集院大和守に攻められ、伊東方の200余名が討死したという。国指定史跡「中ノ尾供養碑」が城域の北側にある。 |
新山城 にいやまじょう |
所在地 日南市星倉本丸ほか
概要 伊東氏の攻撃に備え、島津氏が築いた。 |
巡り尾城 めぐりおじょう |
所在地 日南市酒谷乙隈陣
概要 1485(文明17)年の伊東祐国による飫肥攻略の際、島津氏の要請で援軍に来た相良氏の手勢が在陣したいわゆる「球磨陣」。 |