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野尻町の城館

町の情報/野尻町

今城
いまじょう

所在地 西諸県郡野尻町紙屋新村

概要 漆野切寄と推定されている。ただし、漆野切寄の勝才は未調査。

内木場城
うちこばじょう

所在地 西諸県郡野尻町三ヶ野山山家、大沢津

漆野城
うるしのじょう

所在地 西諸県郡野尻町紙屋弓場後

紙屋城
かみやじょう

所在地西諸県郡野尻町大字紙屋字城原

築城者伊東氏臣紙屋氏?(日本城郭大系より)

概要伊東氏48城のひとつ。南北方向に大きく5個の曲輪が連続し間に空堀がある。城域は南北約1400m、東西約600mにもなる。現在は第2の外堀が遺構として存在している。

駐車場 なし

雑感 野尻城とおなじく、国道ぞいの看板にしたがって何度か道に迷ったあげく、ようやく到達した。実はそのとき、車で行き止まりまで行っていざ戻ろうとしたとき雪解け水の深い水たまりにはまって、JAFの助けを借りたことがありました(^^ゞ

古城
こじょう

所在地 西諸県郡野尻町紙屋上の原

概要 現在は中心部に浄蓮寺というお寺がある。

陣原
じんばる

所在地 西諸県郡野尻町東麓陣原

高松城
たかまつじょう

所在地 西諸県郡野尻町東麓高松

概要 岩牟礼城(小林市)の関連城郭。

戸崎城
とざきじょう

所在地 西諸県郡野尻町東麓出口

築城者 不明

概要 伊東氏48城のひとつで、肥田木四郎左衛門尉が城主だった。国道268号沿い、「のじりこぴあ」横にある野尻大橋の西詰。雑木林の中にでかい看板が立てられており、城跡を真っ二つに貫いてしまっている。

駐車場 なし

雑感 何故こんなところに国道を通したのだろうと、地元のお城ファンは悲嘆にくれている(嘘)。現在は野尻湖(ダム湖)となっている岩瀬川に突き出した形となっていて、川の交通を扼する働きをしていたのかもしれない。

野尻城
のじりじょう

所在地 西諸県郡野尻町東麓牟田原、野首

築城者 伊東氏

概要 伊東氏48城のひとつで、城主は後に島津に内通し伊東義祐の豊後出奔のきっかけをつくった福永丹波守。近世には薩摩藩の外城体制に組み込まれた。

駐車場 なし

雑感 現在井戸の跡があり本丸とされているところは、どうやら居館跡らしい。井戸のまわりはわりと広い農地となっている。道も狭いし、農繁期の見学は農作業の邪魔となるおそれあり。国道ぞいに案内看板があるが、紙屋城同様現地に到達するまでの分岐には表示がなく、たどり着くまで3回も迷ってしまった。この地で、島津義弘と豊臣秀吉が対面しているはずだが、それを偲ぶ面影はない。

山城
やましろ
所在地 西諸県郡野尻町紙屋山城

野尻町の中世史跡

 

伊集院忠真の墓
いじゅういんただざねのはか

所在地 西諸県郡野尻町東麓1162-1(R268沿い北側)

概要 庄内合戦を起こし、後にこの地で暗殺された伊集院忠真の墓。庄内合戦後伊集院忠真は頴娃に転封されるが、1602年、島津忠恒は上洛の折忠真を同道し、鹿狩りの最中に暗殺する。これをきっかけに、忠真の一族もことごとく討ちとられてしまう

駐車場 なし

雑感 墓地は国道のすぐ横にあるが、目立つ表示などないのですぐには気付かない。忠真の他に一緒に殺された郎党の墓もまつってある。何かと禍根のあった伊集院一族を葬り去ることで、義久・義弘・忠恒とそれぞれの家臣団が不穏な対立を形成していた状況を、とりあえず断ち切った事件だったのではないだろうか。

 

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