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高千穂町の城館

町の情報/高千穂町

淡路城
あわじじょう

所在地 西臼杵郡高千穂町三田井神殿、城ノ平

概要 別名、花見城。現在の高千穂高校の裏山付近を中心に、高千穂警察署や武道館あたりまで城域があったと推定されている。三田井氏48塁のひとつ。1592(文禄元)年、県領主高橋元種によって三田井氏が攻め滅ぼされたときに落城し、以後廃城となる。

伊東氏小崎屋敷
いとうしこざきやしき

所在地 西臼杵郡高千穂町河内染田

概要 伊東義祐豊後出奔のさい、宿営となった屋敷跡。

岩戸出城
いわとでじろ

所在地 西臼杵郡高千穂町岩戸笹の戸

概要 三田井氏48塁のひとつ。

押方城
おしかたじょう

所在地 西臼杵郡高千穂町押方東平、宮野原

概要 三田井氏48塁のひとつ。

賀志原城
かしばるじょう

所在地 西臼杵郡高千穂町向山中山

概要 三田井氏48塁のひとつ。仲山城の詰めの城と推定されている。

亀山城
かめやまじょう

所在地 西臼杵郡高千穂町三田井大野原、古城

概要 別称、大野原(おおのばる)城。三田井氏48塁のひとつ。北東南は五ヶ瀬川の支流岩戸川に面した断崖で、西側に空堀の跡がみられる要害の地に築かれている。1591(天正19)年、高橋元種に攻め取られた。城主は三田井氏家臣富高弥十郎長義。

亀頭山城
きとうさんじょう

所在地 西臼杵郡高千穂町河内染野

概要 三田井氏48塁のひとつ。日向から豊後・肥後へと向かう交通路を守る要害の城。1594(文禄3)年、高橋元種の攻撃で落城し、城主の甲斐将監惟房(これふさ)は奥鶴というところまで逃れたのち自害した。城跡の北側に円山という山があり、頂上が2区に分けられ、守備兵と太鼓台が置かれていたという。

崩野城
くえのじょう

所在地 西臼杵郡高千穂町五ケ所崩野

概要 三田井氏48塁のひとつ。詳細は不明。

車迫陣内
くるまさこじんない
所在地 西臼杵郡高千穂町三田井車迫
玄武城
くろたけじょう

所在地 西臼杵郡高千穂町上野上西平、宮野平

概要 三田井48塁のひとつ。山頂の平坦地が主郭とみられ、段々に多くの曲輪が築かれている。「城屋敷」「城ン岳」という名の曲輪もある。城主は三田井氏家臣の吉村氏。大友宗麟の日向侵攻の際落城した。その後、寛永年間(1624〜44)まで城壁などが残っていたが、有馬氏が島原の乱への出兵から帰藩する際に廃棄されたという。

黒仁田城
くろにたじょう

所在地 西臼杵郡高千穂町向山黒仁田

概要 遺構は不明瞭。付近に「御座」「囲」「馬場」「前園」「堂屋敷」などの屋号が残っているという。

桑水流陣内
くわずるじんない
所在地 西臼杵郡高千穂町三田井桑水流
古賀城 
こがじょう

所在地 西臼杵郡高千穂町三田井寺迫

概要 三田井氏48塁のひとつで淡路城の出城。現在の高千穂町国民健康保険病院付近。

五ケ村
ごかむら

所在地 西臼杵郡高千穂町岩戸五ケ村

概要 三田井氏48塁のひとつ岩戸城の遺構の一部ではないかと推定されている。付近に、城山(じょんやま)という地名が残っている。

椎屋谷城
しいやだにじょう

所在地 西臼杵郡高千穂町向山椎屋谷

概要 別名稲荷城。三田井氏の本拠、仲山城の支城のひとつ。

芝原囲
しばはらかこい

所在地 西臼杵郡高千穂町押方芝原

概要 南北朝期の豪族芝原氏の居館跡。芝原性虎の墓(県指定史跡)がある。

下の城
しものじょう

所在地 西臼杵郡高千穂町河内下野城

概要 三田井氏48塁のひとつ。

城ケ崎
じょうがさき
所在地 西臼杵郡高千穂町向山城ケ崎
上ノ切若狭屋敷
じょうのきりわかさやしき

所在地 西臼杵郡高千穂町向山猿迫

概要 ここに有力者の居館があったという。

左右殿城
そうどのじょう

所在地 西臼杵郡高千穂町岩戸東岸寺

概要 三田井氏48塁のひとつ。

太鼓台
たいこだい

所在地 西臼杵郡高千穂町河内染野平

概要 亀頭山城の太鼓台の跡ではないかと推定されている。

太鼓原
たいこばる

所在地 西臼杵郡高千穂町押方太鼓原

概要 国見ヶ丘の南方の山丘上にある。「太鼓番の墓」といわれる墓石があるという。

高城
たかじょう

所在地 西臼杵郡高千穂町河内夕塩

概要 三田井氏48塁のひとつ。五ヶ瀬町、熊本県との境に近く、山麓には江戸期に夕塩番所が置かれていた。頂部には祠がある。

谷城
たにじょう
所在地 西臼杵郡高千穂町向山谷城
詰の尾羽根陣
つめのおばねじん

所在地 西臼杵郡高千穂町岩戸野方野

概要 1591(天正19)年、高橋元種が三田井氏を攻めた際、亀山城を砲撃するため陣をし
いたところ。

永の内
ながのうち

所在地 西臼杵郡高千穂町岩戸永の内、布城

概要 三田井氏48塁の岩戸城の遺構ではないかと推定されている。「陣」「馬場」「射場のもと」「かこい」などの地名が残る。

仲山城
なかやまじょう

所在地 西臼杵郡高千穂町向山中山

築城者 三田井氏

概要 高千穂の豪族・三田井氏(高千穂氏)の本城・居館跡。中山御所、御所の屋敷、大内の御所の表記もみられる。三田井氏は鎌倉期よりこの地方の支配をはじめた、日向でも最古の豪族のひとつ。全盛期には肥後・豊後の一部にも勢力をのばしていたが、高橋元種によって滅ぼされた。

雑感 豊臣秀吉の九州仕置によりこの地方の支配者となった高橋元種は、臣従しない三田井氏を計略によって攻め滅ぼしたが、時の人秀吉の意向で君臨した元種と、鎌倉時代よりの旧家の当主である三田井親房との争いは、新旧権力者間の争いという側面もあり興味深い。

古城
ふるじょう

所在地 西臼杵郡高千穂町河内古城

概要 三田井氏48塁のひとつ。亀頭城の関連砦。

馬見原城
まみはらじょう

所在地 西臼杵郡高千穂町河内南大平

概要 現在の田原中学校または、集落の西丘陵のどちらかにあったと推定されている。

柚木野城
ゆのきのじょう

所在地 西臼杵郡高千穂町上野柚木野平

概要 三田井氏48塁のひとつ。一番高いところに祠があり、県指定上野村古墳10号の指定もうけている。

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