所在地 児湯郡高鍋町南高鍋旧城内、上江嶋田
築城者 土持氏
概要 別称、舞鶴城。古くは財部城といった。9世紀の中ごろから財部土持氏の居城となり1457(長禄元)年、財部土持氏の滅亡後伊東氏の出城となる。伊東義祐の出奔後は島津氏が領したが、豊臣秀吉の九州仕置後、秋月氏のものとなった。
初代・秋月種長は当初櫛間城(串間市)に入るが、1604(慶長9)年に財部城に移り、以後明治まで続く。財部の地名が高鍋に改められたのは1673(延宝元)年、三代藩主・種信のころといわれている。またこのころまでに、近世城郭として改修が行われた。宮崎県内に残る城館跡の中で唯一、水堀が残されている。 |