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平安時代][鎌倉時代][南北朝期][伊東VS島津 PART1][伊東祐尭の時代
伊東VS島津 PART2][伊東義祐の時代][島津支配][豊臣政権][徳川初期

平安時代>next

1026

太宰大監の平季基、日向・大隅・薩摩を開拓し、藤原頼通に寄進する(島津荘の始まり)

1128

島津氏の祖、惟宗基定が日向守となる

1156

保元の乱

1157

土持信綱(宣綱、栄妙:よしただ)日向の国を賜り縣(吾田/現延岡市)荘にうつる

1159

平治の乱

1164

土持信綱、現在の宮崎市戦場坂近辺で源為朝と戦う

1167

平清盛が太政大臣となる

1185

島津忠久、島津荘下司職になる
平氏滅亡
源頼朝、諸国に守護・地頭を配置。事実上の鎌倉幕府成立

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鎌倉時代>next

1187

日下部盛平が日向在国司職や児湯郡右松村田畑などを養子の土持信綱に譲り渡す

1190

工藤祐経、県荘、富田荘、田島荘、諸県荘など宇佐宮神領の地頭となる

1191

工藤祐経、日向国地頭職に補任される

1192

源頼朝、征夷大将軍に任じられる

1197

『日向国図田帳』が提出される

1198

伊東祐時、父・工藤祐経の所領、宇佐宮神領などの地頭職に補任される

1205

那須大八郎、平氏残党の追討のため椎葉にはいる

1206

チンギス・ハンが即位(蒙古)

1219

源実朝が暗殺され、源氏の嫡流が滅亡

1221

承久の乱

1232

御成敗式目の成立

1252

伊東祐時の4男祐明(田島荘)、7男祐景(県荘)、8男祐頼(諸県荘絹分=木脇)に下向
それぞれ、田島氏・門川氏・木脇氏の祖となる

1271

蒙古が国号を元とする

1274

元軍が対馬・壱岐・筑前に来襲(文永の役)

1276

九州沿岸に石塁が築かれる

1279

宋が滅亡

1281

元軍が再び来襲(弘安の役)

1297

初めて徳政令が出される

1324

正中の変

1331

元弘の変。楠木正成が挙兵

1332

後醍醐天皇、隠岐に配流

1333

島津貞久、日向国守護職に補任される
足利尊氏が六波羅探題を、新田義貞が鎌倉を攻め鎌倉幕府滅亡

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南北朝期>next

1334

建武の新政の開始

1335

足利尊氏挙兵
島津貞久に櫛間院(くしまいん)の野辺盛忠の討伐が命じられる
工藤祐経から6代の伊東祐持が都於郡(とのこおり/西都市)に下向
木脇祐広、諸県荘八代城(国富町)に拠り祐持に抵抗
島津忠宗の子時久、新納院(にいろいん)地頭職となり高城(木城町)に入り新納氏と称する
木脇祐広ら国富荘、穆佐院に乱入
祐持、田島祐貞・祐勝兄弟の宿所、上田島荘堤を焼き払う。また、穆佐(むかさ)城の祐広を駆逐

1336

後醍醐天皇吉野へ逃れる
肝付兼重ら、国富荘・浮田荘に乱入
図師六郎入道慈円、南朝方として宮崎城に拠るが県の土持新兵衛宣栄に攻め落とされる
宣栄、伊東祐持ら南朝方の木脇祐広を八代城・猪野見城に攻める
足利尊氏、畠山直顕を肝付兼重討伐に派遣する

1337

肝付方の三俣院石山城が落城
畠山直顕、穆佐城に入城
畠山直顕、土持宣栄を宮崎郡大墓別符の地頭職に補任する

1338

足利尊氏、征夷大将軍に任じられる
八代城の木脇祐広、飫肥・櫛間の野辺盛忠、それぞれ畠山直顕に降伏

1339

肝付兼重方の島津荘大岩田城、三股院高城が落城

1341

南朝が芝原又三郎性虎に高知尾荘(高千穂町)にあった三田井明覚の旧領を安堵 

1347

征西将軍宮懐良親王、塩見・富高郷を筑後の国人・草野澄算に宛行う

1348

恵良惟澄、南朝方の日向守護職となる
伊東祐重(氏祐)、家臣の山田氏、河崎氏らとともに下向

1350

畠山直顕、新納時久の拠った高城を攻め落とす

1351

楡井頼仲らが志布志などで足利直義・直冬方の畠山直顕と戦う(観応の擾乱のひとつ)

1352

島津貞久、足利尊氏の命で穆佐院の畠山直顕を攻める
畠山直顕・重隆父子が大隅国に侵入。肝付氏は降伏し島津氏は鹿児島に敗走
島津貞久の弟・資忠、諸県郡北郷安永村に入り北郷(ほんごう)氏を称す

1357

畠山直顕、大隅国加治木城で島津氏と戦って敗れ穆佐に逃れる

1358

菊地武光、畠山直顕・重隆父子の穆佐城を攻めおとす

1361

菊池武光、征西将軍宮懐良親王を擁して日向に入る

1368

明が中国を統一する

1375

北郷資忠の子・誼久、諸県郡都島(都城市)に築城し都之城と名付ける

1376

今川満範と伊東氏祐、都城の北郷氏を攻める。島津氏久は北郷氏を助ける

1377

蓑原合戦(都城市)。北郷義久は今川満範を破り伊東祐基が討死するが、翌日は島津氏久が今川方に敗北を喫す

1387

今川了俊の子貞兼、穆佐院に入る

1392

南北朝の合一
李氏朝鮮が成立

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伊東VS島津 PART1>next

1394

島津元久、相良氏家臣・千町牟田氏を野々美谷城(ののみだにじょう/都城市)に滅ぼし、樺山音久に与える

1399

応永の乱

1400

日向国が幕府領となる

1403

島津久豊、穆佐城に入る

1404

島津元久、日向守護職になる

1412

島津久豊が伊東祐安に攻められ、穆佐城を捨て鹿児島に撤退

1419

島津氏の臣・伊作惣二郎らが車坂城(宮崎市)で伊東氏と戦う

1424

島津久豊、穆佐城を奪回

1425

島津久豊、穆佐城で死去。伊東氏が再び同城を奪回する
島津忠国、日向・大隅・薩摩の守護に任ぜられる

1428

正長の土一揆

1439

6代将軍足利義教の異母弟・大覚寺義昭(ぎしょう)が日向に逃れてくる

1441

野辺氏にかくまわれていた大覚寺義昭が自害。首級は京へ送られる
嘉吉の乱

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伊東祐尭の時代>next

1444

伊東祐立の死去に伴い祐尭(すけたか)が家督を継承する

1457

祐尭、財部土持氏を滅ぼす(小浪川の戦)

1461

将軍足利義政より祐尭に日向・大隅・薩摩の国人への指揮権が与えられる

1467

応仁の乱

1484

飫肥の新納忠続と櫛間の伊作久逸との間の争い勃発
島津氏は北郷敏久を派遣し忠続を援護。祐尭の子・祐国が久逸を助けるため飫肥に進出

1485

山城の国一揆
伊東祐尭死去
島津武久が飫肥城の伊作久逸を攻める。伊東祐国が戦死。久逸、櫛間に逃れ和睦

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伊東VS島津 Part2>next

1486

日知屋城主・伊東祐邑が暗殺される
飫肥・櫛間などが島津忠廉に宛行われる

1488

加賀一向一揆

1492

コロンブスがアメリカ大陸に到達

1495

豊後の大友氏、祐国の子・尹祐(ただすけ)に使者を送り、島津氏との和睦をすすめる
島津忠昌、三俣院千町を尹祐に割譲

1498

バスコ・ダ・ガマがインド航路発見

1504

都於郡城が炎上する

1510

尹祐、綾地頭・長倉若狭守、垂水但馬守らを切腹に処す(綾の乱)

1520

尹祐、勝岡城を築城し北郷忠相(ほんごうただすけ)と戦い勝利

1522

マゼラン艦隊が世界一周を達成
伊東氏と北郷氏、再び都城で戦う

1523

尹祐、野々美谷城攻撃中に急死

1524

北郷忠相、野々美谷城を尹祐の子・祐充に割譲し和睦

1531

伊東氏に内訌(内輪もめ)起こる

1532

伊東方と、北郷忠相・島津忠朝・北原貴兼連合軍とが三俣院高城で戦う

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伊東義祐の時代>next

1533

伊東祐清(後の義祐)、一族の内訌を制し都於郡城に入る
伊東祐清、北原氏に三俣院高城を割譲

1534

宮崎郡長嶺の地頭・長倉能登守、祐清の弟・祐吉を擁して宮崎城に入る。祐清は難を避け出家

1536

伊東祐吉が宮崎城で没す。祐清、還俗し佐土原に入城

1537

伊東祐清、従四位下に叙される。また、足利義晴の偏諱を賜り義祐と改名
佐土原城が炎上し、義祐は宮崎城に移る

1541

伊東氏の臣・長倉能登守が反乱を起こすも敗死
義祐、飫肥を攻める

1542

伊東氏と北原氏が連合し、三股院高城の北郷忠相・島津忠広と戦う

1543

種子島に漂着したポルトガル商人より鉄砲が伝えられる
伊東義祐、烏帽子嶺砦(日南市)を攻め落とす。
飫肥城の島津忠広、豊後の大友氏に取りなしを要請

1545

義祐、鬼ヶ城(日南市)を攻め落とす

1546

義祐、従三位に叙される

1548

義祐、再び剃髪し三位入道と称す

1549

フランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸
義祐、飫肥城の島津忠親を攻める

1551

陶晴賢が大内義隆を攻め滅ぼす

1560

桶狭間の戦い

1562

義祐、一時飫肥を落とすが、すぐに島津氏が奪回

1568

織田信長が足利義昭を奉じて京に入る
義祐、ようやく飫肥を攻略。伊東氏版図のピークを迎える
義祐、島津忠平(後の義弘)と飯野で戦い撃ち破る
落合兼朝『日向記』の前半を編纂

1571

姉川の戦い

1572

木崎原の戦い。伊東勢、島津忠平に大敗を喫す

1573

織田信長が足利義昭を追放し、室町幕府が滅亡

1575

長篠の戦い

1576

高原城の戦い。伊東勢、島津氏に再び敗北

1577

土持氏が門川を攻撃
伊東氏の臣・福永丹波守(野尻城主)が島津氏に内通。義祐が孤立
伊東義賢が家督を継ぐ
伊東義祐、一族とともに都於郡城から豊後に向けて出奔

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島津支配>next

1578

大友宗麟、日向に侵攻。松尾城の土持氏を攻め滅ぼす
耳川の戦い。大友勢、島津勢の前に大敗を喫す

1580

島津の臣・上井覚兼(うわいかくけん)、宮崎城に入る

1582

本能寺の変
義祐の子・祐兵(すけたけ)、放浪の末、豊臣秀吉に仕える
義祐の孫・満所(マンショ)、遣欧少年使節のリーダーとしてローマに向かう

1583

賎が岳の戦い

1584

小牧・長久手の戦い

1585

豊臣秀吉が関白に任じられる

1586

豊臣秀吉、太政大臣になる
上井覚兼などが率いる日向衆、高橋紹運の守る岩屋城(筑前国)攻撃に参加
秀吉軍が豊後上陸。戸次川の戦いで島津軍勝利

1587

島津勢、豊後を引き払い日向まで撤退
根白坂(木城町)の戦いで島津氏大敗
島津義久、降伏
島津久保に真幸院が宛行われる

1588

刀狩り令
豊臣秀吉の九州仕置により島津義弘に真幸院、島津家久に都於郡・佐土原、伊東祐兵に飫肥・清武・曽井、秋月種長に新納院・諸県郡・櫛間、高橋元種に臼杵一郡・児湯・宮崎郡があてがわれる

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豊臣政権>next

1590

豊臣秀吉、後北条氏を滅ぼし天下を統一

1592

文録の役。日向諸将も朝鮮へ
高橋元種、三田井氏を滅ぼす

1593

秀吉の命により、石田三成が島津領の検地を行う

1595

北郷氏が宮之城(鹿児島県)に移り、伊集院幸侃(いじゅういん・こうかん)が都城に入る

1597

慶長の役。日向諸侯も再び朝鮮侵攻

1598

豊臣秀吉死去

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徳川初期

1599

島津忠恒(後の家久)、伏見屋敷で伊集院幸侃を誅殺。幸侃の子・忠真、都之城に拠り、島津氏と戦う(庄内合戦)

1600

徳川家康の仲裁で庄内合戦が終息。伊集院忠真は頴娃(えい・鹿児島県)に移り、北郷長千代(忠能)が都城に復帰
関ヶ原の戦い。佐土原城主島津豊久、「関ヶ原の退き口」の最中、討死
伊東氏の臣・稲津掃部助、高橋元種の宮崎城を攻め、城将の権藤種盛討死(関ヶ原の戦い南九州編)
豊久の死により、佐土原が徳川領となる

1601

島津以久に佐土原領が宛行われる

1602

島津忠恒が上洛の途中、野尻で伊集院忠真を謀殺

1603

徳川家康が征夷大将軍となり、江戸に幕府を開く
県城(あがたじょう/延岡市)が完成。高橋元種が松尾城より移る

1604

秋月種長、本拠を櫛間(串間市)から財部(高鍋町)に移す

1613

県藩主・高橋元種、罪人を匿ったため改易。奥州棚倉藩にお預けとなる

1614

肥前日野江より、有馬直純が延岡に転封される
大坂冬の陣。秋月種長、有馬直純ら参陣

1615

大坂夏の陣。豊臣氏滅亡
徳川幕府が武家諸法度、禁中並公家諸法度を制定

一国一城令により、日向国でもほとんどの城が廃城となる

1619

椎葉山騒動発生。幕府の命により相良長毎がこれを鎮圧。椎葉山は阿蘇宮預かりとなる

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