[『宮崎産業経営大学研究紀要』第9巻第1号、宮崎産業経営大学法学会・経営学会・経済学会、1996年12月、pp. 59-92.]
プルーストの視線
成沢広幸
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『失われた時を求めて』では身体的な感覚は物語の内的展開に重要な役割を果たしている。例えば、主人公が初めて無意志的記憶の神秘に触れるのは味覚によってであるし(マドレーヌ体験)、直ちに言語化しえない風景の秘密をかいま見るのは視覚によってであるし(さんざしのエピソード)、作品後半の暗鬱なテーマとなり多くの登場人物を覆っていく同性愛を本格的に考察する発端は視覚とともに聴覚によって与えられる(ゲルマント館の中庭でのシャルリュスとジュピアンの出会い)。また、作品の最終部、ゲルマント家のマチネにおいて続けざまに主人公を襲う無意志的回想の波のきっかけは、段差のある不揃いな敷石に足をおいたときの平衡感覚であり、ナプキンの固さという触覚であり、スプーンが皿に当たる金属音や水道管の響きという聴覚であった。その他諸々の身体的な感覚がすべて物語の内的展開に決定的な役割を果たしているわけではないにしても、そのうち幾つかは、われわれが生活しているこの世界、プルースト風に言うと「真実のものではなく、もっとも卑俗なものであり、われわれのもっとも表面的な魂に対応している世界」1)と、各人がもともと住んでいた「魂の祖国」とを結ぶ貴重なよすがとして、ときおり主人公あるいは他の作中人物の日常に突然出現する。また、同じくあるものは、過去と現在の質的、状況的類似によって、意識下に沈んでいた過去を、理知的な操作の加えられないままの無垢の状態で、無意志的に出現させる。そういう特権的瞬間と呼ばれる短い煌めきによって「現実の世界の塵埃の中に、魔法の砂がまじる日、日常生活の卑俗な出来事が、ふとロマネスクな世界へのバネのはずみとなる日」2)に、それらを解読できた者のみが、プルーストによると、真実の生を生きることができる。そしてプルーストにとって真実の生を生きる者とは詩人(ギリシャ語の語源にまで遡る意味で)の謂に他ならず、また、真実の生を生きた証しとしてわれわれにもたらされるのが個々の芸術作品なのである。本稿は、「見ること。プルーストの語り手のすべての快楽はそこにある。」3)というように、「見ること」の漸進的な習得の物語として読むことのできる『失われた時を求めて』およびそれ以前の諸作品において、諸感覚の中で決定的な比重を占めている視覚および視覚的イメージを媒介としてプルーストがいかに真実の生というものを考察していたかを、諸作品の一般的な考察と、主人公の場合との二つの側面から探ろうとするものである。4)
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プルーストには比較的早い時期に書かれた一連の画家論がある。1890年代中頃、すなわち作家が二十代半ばにおいて執筆したと推定される『シャルダンとレンブラント』、『レンブラント』、『ヴァトー』、『ギュスターヴ・モローの神秘的世界についての覚え書き』、『画家 − 影 − モネ』の五編である。5)それらは若きプルーストが絵画について、ひいては芸術について、どのように考えていたのかをわれわれに示してくれる。『失われた時を求めて』に至るはるか以前から「絵画は確かにプルーストの創造力の特権的な対象となっている」6)のである。まず端緒として、それらの絵画論の検討から始めたい。
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まずプルーストは、日常の平凡な、時として醜悪でさえもあるものに囲まれて、美の渇望をおぼえている青年を架空の対話者とし、シャルダンの絵画を取り上げて、その青年に助言を与える。そうした設定によって自らのシャルダン論、絵画論を展開するのである。
その青年がルーヴル美術館に出かけて、自分の周囲にある日常的なこまごましたものとは隔絶した輝かしい特権的な光景、たとえばヴェロネーゼ風の宮殿やヴァン・ダイク風の君主たち、クロード・ロラン風の港などの絵画を見るのもいいだろうが、プルーストは彼をシャルダンの前に連れていく、というのだ。そして彼がシャルダンの絵画に目を奪われたら、プルーストは彼に、それらの絵画の素材を指摘する。つづれ織りで織り違えたところを娘に教えている裕福な町家の女、パンを運んでいる女、生きた猫が牡蛎の上を歩き、一方では死んだエイが壁にぶら下がった台所の内部、半分片づいたテーブルクロスの上に転がっている何本かのナイフ、いろいろな食事道具や炊事道具、ザクセン陶器のココア入れのようなきれいなものばかりではなく、この上なく醜悪に見えるものも置かれていたりする食卓、ぴかぴか光った壷、ありとあらゆる形ありとあらゆる素材の壷、食卓の上に転がった死んだ魚、半分からになったグラス、たくさん並んだいっぱい入ったグラス、等々。
青年は確かにシャルダンの絵画を美しいと思うのだが、その素材は青年の周囲にあるものと変わらないもの、青年がそれによって不愉快になるほど平凡なものなのだ。しかし何故それら平凡な素材を描いたものの中に、彼が美を見いだしたかというのは、実は彼がそれらの中に、自分でも気づかないながら、シャルダンがそれらに感じていたのと同じよろこびを見いだしたからに他ならないなのだと、プルーストは言う。「縫物をしている部屋とか、配膳室とか、台所とか、食器棚とかを描いた彼の絵があなたに与えてくれたよろこびは、現場で捉えられ、瞬間から解き放たれ、深められ、永遠化されたものなんだ。[…]あなたはすでに無意識の内に感じていたんだよ、つつましい生活や静物などの眺めが与えてくれるこのよろこびを。そうじゃなかったら、シャルダンがその有無をいわさぬ輝かしい言語でそれを呼び求めたときに、このよろこびがあなたの心の中に生まれ出ることはなかっただろう。」7)
ここでプルーストは、青年が最初に求めていたような、宮殿や君主と云った「輝かしい」素材を写し取ったような絵画だけがカタルシスを与えるのではないということを明らかにしている。日常的で陳腐な素材でも、それが描かれたものを見て、青年はそれを美しいと思ったのだ。つまり、現実にありふれた平凡な素材でも、画家の視線によってそれは美を感じさせるものに変容するのであり、そしてそういう画家の視線を共有することが出来れば、この青年にとっては、「シャルダンにとってと同様に、金属や陶土が生命を得、果物が口をきくことになるのだ。」8)ここでプルーストははっきりと、謂わば主題の貴族主義の陥穽を告発しているのである。
Dans ces chambres o vous ne voyez rien que lユimage de la banalit des autres et le reflet de votre ennui, Chardin entre comme la lumi俊e, donnant chaque chose sa couleur, 思oquant de la nuit 師ernelle o ils 師aient ensevelis tous les 腎res de la nature morte ou anim仔, avec la signification de la forme si brillante pour le regard, si obscure pour lユesprit. Comme la Princesse r思eill仔, chacun est rendu la vie, reprend ses couleurs, se met causer avec vous, vivre, durer.9)
この青年がシャルダンの眼、見る「眼」さえ獲得できれば、シャルダンは彼に自分の秘密をおしげなく分け与え、その結果、青年は自分の周囲の世界には美が溢れていることを見いだすだろう。「もしあなたが何日かのあいだ、一つの教えとして彼の絵が語る言葉に耳を澄ませたとしたら、日々の生活があなたを魅惑することになるだろうね。そして彼の絵の生命を理解したことで、あなたは生の持つ美を我がものとすることが出来るだろう。」10)
また、これを逆に言えば、輝かしい素材、特権的な素材などはない、と云うことになる。すべては画家の視線にあるのだ。画家にとってはどんな素材でも、自分のヴィジョンをキャンバスの上に定着する妨げとなるものではない。「真の芸術家にとっては、博物学者にとってと同様、どのような種も興味深いものなのだ。いちばん小さな筋肉でも、その重要性を備えている」11)のだし、「画家は、どんなものも、それらを見つめる精神や、それらを美化する光の前では神聖な平等性をそなえていると宣言したのである。」12)そしてその例証として今度は、老人となったシャルダンの二枚の自画像を例にとり、この画家の視線を説明する。老人の絵などというものは、その青年が決して進んで見たいと思うようなものではないのである。「性格と生命と現に味わっている感情という、たがいに応じあう三つの根元的なものの、実に忠実な、実に興味深い翻訳」13)である自画像を通して、プルーストは画家の「現実」の捉え方の見事さを指摘する。二枚の自画像の表情に隠された画家の視線を辿りながら、そこに「もっとも尊敬すべき草稿よりもはるかに多くのこと、はるかに感動的なはるかに生き生きとしたこと」14)を読み取るのである。
Nous avions appris de Chardin quユune poire est aussi vivante quユune femme, quユune poterie vulgaire est aussi belle quユune pierre pr残ieuse. [...] Il nous avait fait sortir dユun faux id斬l pour p始師rer largement dans la r斬lit, pour y retrouver partout la beaut, non plus prisonni俊e affaiblie dユune convention ou dユun faux go柎, mais libre, forte, universelle: en nous ouvrant le monde r仔l, cユest sur la mer de beaut quユil nous entra馬e.15)
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こうした考察の後、プルーストはダンテを導くヴィルギリウスを例えに出して「さらに先に進むためには、今やもう一人の師に身を委ねなければならないだろう」16)と言い、レンブラントに目を転じる。シャルダンが現実の世界を開いて、そこに溢れる美を見出したとすれば、レンブラントはその「現実」なるものを乗り越え、美というのは事物そのものの中に内在的に存在するものではなく、「光こそ事物の根源」17)であることを示したのである。プルーストは、レンブラントの諸作品の間に共通して見られる特質、すなわち画家の視線の特徴を「金色のマチエール」と呼び、次のような考察を行っている。
Ce sont les go柎s de Rembrandt, et cette lumi俊e o sont ses portraits et ses tableaux, cユest en quelque sorte le jour m仁e de sa pens仔, lユesp縦e de jour particulier dans lequel nous voyons les choses, au moment o nous pensons dユune fa腔n originale. Il est certain quユil a vu que cela 師ait son jour propre et quユau moment o il y voyait une chose, elle devenait pour lui riche, propre engendrer en lui dユautres observations pleines de profondeur, quユil 姿rouvait ce moment la joie qui est le signe que nous touchons quelque chose de haut, que nous allons procr仔r. Aussi d仕aigne-t-il toute autre lumi俊e qui pour lui nユest pas aussi f残onde, aussi haute et ne peint-il plus que dans celle-l. Et ce privil夙e de son g始ie nous est sensible par la joie que nous cause la vue de sa mati俊e dor仔, [...]. 18)
シャルダンのように現実に存在する、そして平凡でさえもある素材の中に美を見いだすにしても、レンブラントのように現実の事物の形象はどうあれ、それをとらえる光の中にこそ美があるとするにせよ、結局は事物それ自体に内在的な価値・美があるのではなくて、重要なのはそれらを変容させる画家の視線なのだ、という基本的な考え方は変化してはいない。
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さて、シャルダンもレンブラントもいずれもこの世の事物を描いた。彼らの視線で変容した事物を、と云うよりも、彼らの視線による「あるがまま」の事物を彼らは描いたのだが、モローに至ってこの世の事物は姿を消す。シャルダンであれ、レンブラントであれ、この世にある具体的な事物を表象する方法がそれぞれ異なっていたのだが、モローの視線が表象するもの、それはもはやわれわれが身近に見ることのできるような具体的な対象ではない。画家の視線の行き着く果て、それは彼の「魂の故国」の光景に他ならない。
Un tableau est une sorte dユapparition dユun coin dユun monde myst屍ieux dont nous connaissons quelques autres fragments, qui sont les toiles du m仁e artiste. Nous somme dans un salon, nous causons, tout dユun coup nous levons les yeux et nous apercevons une toile que nous ne connaissons pas et que nous avons pourtant d史 reconnue, comme le souvenir dユune vie ant屍ieure. Ces chevaux lユair indompt et tendre, harnach市 de pierres pr残ieuses et de roses, ce po春e qui a une figure de femme, un manteau dユun bleu sombre et une lyre la main, et tous ces hommes imberbes la figure de femme, couronn市 dユhortensias et inclinant des branches de tub屍euses, cet oiseau dユun bleu sombre aussi qui sui le po春e, la poitrine du po春e qui, soulev仔 par un chant grave et doux, tend les branches de roses qui la ceignent, et la couleur de tout cela, la couleur dユun monde o telle couleur a, non pas la couleur quユelle a dans notre monde, mais la couleur quユelle a sur cette toile, et plus encore lユatmosph俊e intellectuelle de ce monde o le soleil se couche souvent, o les collines sauvages ont leur front des temples [...]. 19)
プルーストはこうしたモローの絵画について、何故その中に繰り返し本質的な特色として「ある風景の中から飛び去っていく鳥たち、河から空に向かって高く飛び立つ一羽の白鳥、高いテラスで鳥や花に囲まれて涼をとっている遊び女」20)などというものが出現するのか、何故それらはモローの心をとらえ続けるのか、という疑問を呈することから始める。しかし画家自身はその訳を知らない。「画家自身としても自分が今かいま見ているものの能う限り正確なイマージュとして、単なる説明よりもはるかに正確なイマージュとして、あの夕方『テラスにいる遊び女』や、ミューズたちが指している白鳥を描くことによってしか、自分の問に答えることは出来なかったからだ。」21)そういうモローの風景画を見ると、そこに描かれたものの中で、象徴的な意味を持たないようなものは何もないように思われる、とプルーストは考える。モローの風景画は「誰かある神が通りすぎ、何かある幻が立ち現れるような風景であり」22)、そこでは空の色、走り去る鹿、山、鳥、竪琴を持った詩人、谷間の花、その側にたたずむ女、宝石や薔薇の花、飾り布、緑色の衣裳、怪物たちを隠している洞窟、やさしい姿の馬たち、そうした描かれたものすべてが神秘的と見える予兆・前兆なのだ。このようにモローの絵には到るところに神的なものが充ちているのだが、それと比べると、純粋な風景画はまるで知性や本質的なものが奪われ、ただ外面を写し取った卑俗なもののようだという。
それでは「生命は事物から離れ去っておらず、あらゆる存在に注ぎこまれている」23)モローの絵は一体どこから出現するのだろうか。それらは現実の事物を描いたシャルダンやレンブラントとは違って、この世には存在しないものであるのが明らかなのである。プルーストはここで「芸術家の魂の故国」という考えを示す。われわれの生活するこの世界は卑俗で表面的な世界であり、決して真実の世界ではないのだが、芸術家は霊感の中でそうした真実の世界に生きることが出来る、と言うのである。「彼が描くあらゆることが生じる土地」24)というのは、まさにそうした真実の世界なのだ。従って、そこに描かれるものは皆、ある神秘の徴、真正性の輝きを帯びており、われわれはすぐさまそうした徴によってモローの絵を見分けるのである。
Le pays, dont les マuvres dユart sont aussi des apparitions fragmentaires, est lユ盈e du po春e, son 盈e v屍itable, celle de toutes ses 盈es qui est le plus au fond, sa patrie v屍itable, mais o il ne vit que de rares moments. Cユest pour cela que le jour qui les 残laire, les couleurs qui les brillent, les personnages qui sユy agitent, sont un jour, des couleurs et des 腎res intellectuels. Lユinspiration est le moment o le po春e peut p始師rer dans cette 盈e la plus int屍ieure. Le travail est lユeffort pour y rester enti俊ement, pour ne pas, tandis quユil 残rit ou quユil peint, y rien m人er du dehors.25)
だが、彼ら芸術家が故国にとどまれるのはわずかなときに過ぎず、日常的には、彼らの奥深い魂にはふさわしくないこの世界、外面的で卑俗な魂にふさわしいこの世界に住むことを余儀なくされている。つまり彼らは、真実の世界からこの卑俗な世界へ亡命を強いられているようなものだ、とプルーストは考える。しかも彼らは故国の生活の方が楽しいという、漠然とした想い出以外、故国の想い出を失ってしまっている。だが、時折襲う霊感は彼らを故国に僅かな時間とはいえ立ち帰らせ、彼らはそこから持ち帰った内的な魂の持つ無垢のイメージを定着させること、すなわち制作に没頭するのである。
ここにプルーストの抱いていた二元論的な芸術観がはっきりと表明されている。ミメーシスは、モローに至り具体的な事物の段階を越えて「本質」そのものを表象することを目指すのである。したがってプルーストによれば、制作が「純粋」であればあるほど、その結果としてもたらされる作品の調子はたがいに似通ったものとなり、われわれはある作品を前にして、その制作者をためらいなく挙げることができるのである。このように芸術家は一つの世界を表現し続けるという考察は、プルーストの芸術論の核心部分に位置する。『失われた時を求めて』においても、たとえばフェルメール、エルスティール、ヴァントゥイユといった芸術家について、そうした表明は繰り返し行われている。
Et repensant la monotonie des マuvres de Vinteuil, jユexpliquais Albertine que les grands litt屍ateurs nユont jamais fait quユune seule マuvre, ou plut冲 r伺ract travers des milieux divers une m仁e beaut quユils apportent au monde.26)
Vous mユavez dit que vous aviez vu certains tableaux de Ver Meer, vous rendez bien compte que ce sont des fragments dユun m仁e monde, que cユest toujours, quelque g始ie avec lequel elle soit recr試e, la m仁e table, le m仁e tapis, la m仁e femme, la m仁e nouvelle et unique beaut, [...].27)
[...] ; de nouveau comme Balbec jユavais devant moi les fragments de ce monde aux couleurs inconnues [...].28)
[...] dont(= de la f腎e) ses マuvres (= les マuvres de Vinteuil) semblaient les fragments disjoints, les 残lats aux cassures 残arlates, [...].29)
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以上、『失われた時を求めて』に取りかかるよりも十年以上も前、若きプルーストが絵画についてどのように考えていたのかを見てきた。シャルダンの場合は、素材を問うことなく現実の世界の発見が美につながる。レンブラントの場合は、美は現実を乗り越え、光の中に存在する。シャルダンもレンブラントも、結局は絵画とは画家の見る眼、視線が根本にあるのだということを明らかにしている。モローにいたって、その視線が見つめる先、それはこの世ならぬ、芸術家の魂の祖国、その光景なのだということが語られる。モローはひとたび霊感が働くとき、その光景をしっかりと眼にとどめて、再びこの世に戻らざるを得なくなったとき、その光景を描くのだ。そういう三者三様の視線のあり方をプルーストは示したわけだが、ここにはすでに後年の『失われた時を求めて』に見られるプルーストの絵画観、あるいは「見ること」についての考察が、評論という形式のせいもあって、より直接的な言葉で先取りされているといってもいい。「見ることを学ぶこと、それは常に、最初に見ているとわれわれが信じているものとは違うものを見ることを学ぶことである。更に言うと、事物のもう一方の側面を見ること、欲望の対象として、喜びや更には享楽の源として予感された、その隠された意味を見ることを学ぶことなのである。」30)これらの考察のどれとして『失われた時を求めて』の中に置かれていても違和感はないだろう。
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先に見た画家論では、評論というジャンルの性質上当然のことながら、すでに獲得されたものとして語られていた画家の視線の秘密は、小説作品である『失われた時を求めて』では主人公に徐々に開示されていくという形を取る。「『失われた時を求めて』では、カルパッチョ、ボッティチェルリあるいはルノワールといった実在の画家が多く登場し、絵画のアレゴリーである作中人物エルスティールのまわりを飾っている。バルザックやサン=シモンと同じように彼ら画家によってわれわれは、世界をよりよく解読したり、事物や人々をよりよく理解できるようになるのである。」31)しかし、彼ら画家の持つ視線の意味は、先に検討した一連の評論における直接的な提示とは違って、より間接的な形で表されている。われわれはそのカテゴリーを二つに分けて理解することができる。プルーストは、小説家として、これら二つのカテゴリーにおける視線の問題を作品中にちりばめている。
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最初のカテゴリー、「形象のレヴェル」あるいは「参照のレヴェル」とでもいうべきこの段階にあっては、視線は具体的な事物の輪郭をたどり、物理的に形象を把握する。ここにおいて問題とされるのは、画家の精神の表出としての絵画ではなくて、描かれた事物の形態的な類似あるいは状況的な類似である。こうした喚起の操作は読者との一種の「共犯関係」を必要とするため、作品中に挙げられているこの種の絵画の多くは、実在のものである。具体的な参照の対象となった絵画については、『マルセル・プルーストの見い出された美術館』32)と『プルーストと画家たち』33)の二冊の画集が代表的なものとして詳細を語るだろう。この種の絵画参照は単に装飾的な意図のみで行われているのではなくて、「プルーストは『失われた時を求めて』においても、外面的な考察で読者を楽しませているからといって、読者を本質的なものから遠ざようとしているわけでは決してない。すなわち、絵画作品の参照は物語的あるいは心理的な展開に直接関係しているのである」34)と言われるように、その参照は多少なりとも物語の展開の契機として行われている。
それがもっとも典型的かつ大規模に描かれているのは、オデットにたいするスワンの欲望を始動させる役割を果たすボッティチェルリの『イェトロの娘たち』をめぐってである。芸術の愛好者にしてコレクターでもあるスワンは、そこに描かれた人物と高等娼婦オデットとの表面的な形態の類似に心を奪われ、本来はまったく別物である両者を混同し、オデットを愛することで自分の芸術愛好者としての姿勢にますます確信をおぼえる。(スワンはこのように、絵画において地上的な快楽と芸術のよろこびを取り違えるが、音楽においても、恋のよろこびをヴァントゥイユのソナタの引き起こすよろこびと混同する。こうしてスワンは二重に芸術を裏切り、二回の機会のいずれにも芸術の意味を悟ることに失敗する。ついには「芸術の独身者」として一生を終えるスワンは、主人公にとって先駆者であり、また反面教師なのである。)
[...] , elle (Odette) frappa Swann par sa ressemblance avec cette figure de Z姿hora, la fille de J師hro, quユon voit dans une fresque de la chapelle Sixtine. [...] Il (Swann) la regardait ; un fragment de la fresque apparaissait dans son visage et dans son corps, que d峻 lors il chercha toujours y retrouver, soit quユil f柎 aupr峻 dユOdette, soit quユil pens液 seulement elle, et bien quユil ne t馬t sans doute au chef-dユマuvre florentin que parce quユil le retrouvait en elle, pourtant cette ressemblance lui conf屍ait elle aussi, une beaut, la rendait plus pr残ieuse. [...] , et il se f四icita que le plaisir quユil avait voir Odette trouv液 une justification dans sa propre culture esth師ique. [...] Le mot dユ《マuvre florentine》rendit un grand service Swann. Il lui permit , comme un titre, de faire p始師rer lユimage dユOdette dans un monde de r迅es, o elle nユavait pas eu acc峻 jusquユici et o elle sユimpr使na de noblesse. [...] , ces doutes furent d師ruits, cet amour assur quand il eut la place pour base les donn仔s dユune esth師ique certaine.35)
このようにしてスワンは、ボッティチェルリの壁画の与える芸術的なよろこびを、オデットの個人的な魅力と混同し、恋の罠に落ちる。そして以後数年間、スワンはこのココットに翻弄され続ける。それはまた主人公への教訓ともなっていくのだが、この例ほど物語の中心的な展開に影響を及ぼすものではないにしても、そしてスワンほど芸術とりわけ造形芸術における対象のフェティシスムに魅入られた形ではないにしても、『失われた時を求めて』の至るところで、物語の展開に多少なりとも関わった形で、この種の比較が行われていると言っていいだろう。そうした例をいくつか見てみよう。
たとえば、コンブレーにおいて、主人公の少年時代、ある時期家で働いていた妊娠中の女中について、語り手はジョットーの寓意画の中の人物にその女中を例えながらこう語っている。
Ceux-ci rappelaient les houppelandes qui rev腎ent certaines des figures de Giotto dont M. Swann mユavait donn des photographies. Cユest lui-m仁e qui nous lユavait fait remarquer et quand il nous demandait des nouvelles de la fille de cuisine il nous disait : 《Comment va la Charit de Giotto ?》 [...] Il fallait que ces Vertus et ces Vices de Padoue eussent en eux bien de la r斬lit puisquユil mユapparaissaient comme aussi vivants que la servante enceinte, et quユelle m仁e ne me semblait pas beaucoup moins all使orique.36)
また、この種の他の例をいくつか見てみよう。
《 Ah ! oui, ce gar腔n que jユai vu une fois ici, qui ressemble tellement au portrait de Mahomet II par Bellini. Oh ! cユest frappant, il a les m仁es sourcils circonflexes, le m仁e nez recourb, les m仁es pommettes saillantes. Quand il aura une barbiche ce sera la m仁e personne. 》37)
Ce nom de Gilberte [...] , ─ formant, passager c四este au milieu des enfants et des bonnes, un petit nuage dユune couleur pr残ieuse, pareil celui qui, bomb au-dessus dユun beau jardin du Poussin, refl春e minutieusement comme un nuage dユop屍a, plein de chevaux et de chars, quelque apparition de la vie des dieux ;38)
; une joie aussi diff屍ente de celle de la sonate que, dユun ange doux et grave de Bellini, jouant du th姉rbe, pourrait 腎re, v腎u dユune robe dユ残arlate, quelque archange de Mantegna sonnant dans un buccin.39)
Son nez, sa bouche, ses yeux formaient une harmonie parfaite, isol仔 du reste, elle avait lユair dユun pastel et de ne pas plus avoir entendu ce quユon venait de dire que si on lユavait dit devant un portrait de La Tour. 40)
[...], la rigidit physiologique de lユart屍io-scl屍ose exag屍ant encore la rectitude impassible de la physionomie du dandy et donnant ces traits lユintense nettet presque grima溝nte force dユimmobilit quユils auraient eue dans une 師ude de Mantegna ou de Michel-Ange.41)
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もう一つのカテゴリーは、「美術館とはもっぱらさまざまな思想が収められた家である」42)というように、絵画を画家の精神の現われとしてとらえる場合であり、このとき、絵画論は必然的に芸術論にならざるを得ない。『失われた時を求めて』ではこのカテゴリーで二つの異なったアプローチが見られる。
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最初のアプローチとして、視線は形態の比較だけでは別物のように見える事物と事物との間の近親性・類縁性を「隠喩的に」明らかにする。すなわち事物の「再創造」を行うのである。このような視線が作中を通してもっとも詳細に描かれているのは、画家エルスティールの場合である。
ある年、海辺の避暑地バルベックに滞在していた主人公は、バルベック近くのリヴベルのレストランでエルスティールを見かけ、以後交友を結ぶこととなる。主人公より一世代上の前衛的な芸術家として設定されているこの画家はモネ、マネ、ホイッスラー、ドガなど、様々な画家から特徴が採られているのだが、流派的には印象派風の大家として描かれている。また、ビュトールも言うように「エルスティール(Elstir)という名に、ホイッスラー(Whistler)という名からwhを除いたアナグラムを見ることはたやすい」43)し、また「いくつかの要素がエルスティールの作風を印象派に近づけているように思われる。」44)というのは実際その通りなのだが、だからといってエルスティールが「印象派」という形容を以て呼ばれたことはない。むしろプルーストは芸術の流派的分類をほとんど無意味だと考え、まだ人々に理解されないときには、たとえばロマン主義者、写実主義者、デカダンなどと呼ばれていた偉大な芸術家たちをすべて古典的存在と呼びたい、と言っているほどである。
画家と知り合ってしばらくして主人公は「世界の新しい創造の実験室」45)である彼のアトリエに出かけるが、そこで制作中の、あるいはすでに制作された諸作品を前にして創造の核心に触れ、強い昂揚を覚え、完全に幸福であると感じる。それというのも、エルスティールのアトリエにある習作に取り囲まれることによって主人公は、「自分が今まで現実の総体的な光景から切り離すことをしなかったさまざまな物の形への、喜びにみちあふれた、詩的な一つの認識にまで、自分で高まっていくことができるという可能性を感じていた」46)からであった。「プルーストはエルスティールの作品を創造することが出来たが、そのとき彼が理解したのは、モネの作品は、われわれが見るものとわれわれが見ないものとの間にある矛盾を乗り越えているということである。というのも、われわれはとにかく何かを見るからであり、モネのモットーである〈見ないものを描く〉というのは不十分で、〈見てはいるが見ていないと思っているものを描く〉という風にそれを補わなければならないからである。」47)
Mais les rares moments ou lユon voit la nature telle quユelle est, po師iquement, cユ師ait de ceux-l quユ師ait faite lユマuvre dユElstir. Une de ses m師aphores les plus fr子uentes dans les marines quユil avait pr峻 de lui en ce moment 師ait justement celle qui comparant la terre la mer, supprimait entre elles toute d士arcation. Cユ師ait cette comparaison, tacitement et inlassablement r姿師仔 dans une m仁e toile qui y introduisait cette mutiforme et puissante unit, cause, parfois non clairement aper講e par eux, de lユenthousiasme quユexcitait chez certains amateurs la peinture dユElstir.48)
そして対象を再構成することなく、視覚や感覚の錯誤の命ずるままに対象を描くというエルスティールの方法、「印象の根源そのものに誠実に立ち帰ることによって、一つのものを再現する、しかも最初にひらめいた錯覚の中でわれわれが取り違えてつかんだ別の物によって元の一つの物を再現する」49)方法、いわば視覚上の錯覚を再創造する方法が語られる。「最初の印象に従うこと、習慣や予め与えられた知識を拒否すること、瞬間の不安定さ、これらがエルスティールの技法を特徴づけるキーワードである。ところでプルーストのエクリチュールの構造は同じ様な法則にもとづいている。」50)思えばこの方法は、次の引用に見られるように、主人公がセヴィニェ夫人においてすでに親しんでいた、文学と絵画に共通するものなのであった。
Elles (= les lettres de Mme de S思ign) devaient bient冲 me frapper dユautant plus que Mme de S思ign est une grand artiste de la m仁e famille quユun peintre que jユallais rencontrer Balbec et qui eut une influence si profonde sur ma vision des choses, Elstir. Je me rendis compte Balbec que cユest de la m仁e fa腔n que lui quユelle nous pr市ente les choses, dans lユordre de nos perceptions, au lieu de les expliquer dユaccord par leur cause.51)
Naturellement ce quユil avait dans son atelier, ce nユ師ait gu俊e que des marines prises ici Balbec. Mais jユy pouvais discerner que le charme de chacune consistait en une sorte de m師amorphose des choses repr市ent仔s, analogue celle quユen po市ie on nomme m師aphore et que si Dieu le P俊e avait cr試 les choses en les nommant, cユest en leur 冲ant leur nom, ou en leur en donnant un autre quユElstir les recr斬it. Les noms qui d市ignent les chose r姿ondent toujours une notion de lユintelligence, 師rang俊e nos impressions v屍itables et qui nous force 四iminer dユelle tout ce qui ne se rapporte pas cette notion.52)
「従って視覚的な錯覚が示すものは、対象のイメージというよりも、それが生起する仕方なのである。エルスティールが最初の印象の内容から導き出すのは、深い現実というものがあり、彼は視線をその現実を感じとるために必要な手段とする、ということなのである。」53)そして、そうした隠喩的技法の一つである、陸と海とを比較しながらも両者のあいだのはっきりした境界を消し去り無効にしている技法が比較的明解に見られる港の風景画(『カルクチュイ港』)の考察が数ページにわたって続く。「エルスティールの作品は、1900年代のいくつかの作品(あちこちにマネやモネ、とりわけホイッスラーやドガなどが認められる)と何人かの浮世絵画家、とりわけ北斎とに着想を得ている。しかしプルーストは『カルクチュイ港』という非常に独創的な偉大な作品を作り出すことができたばかりか、この機会を利用して、多くの点でその後に続くであろう絵画を予見させる当時の絵画についての驚くべき分析を、われわれのために行うことも出来たのである。」54)それは「小さな町を描くためには海に関する名辞しか用いず、海を描くためには町に関する名辞しか用いない」55)という方法で制作されており、海と陸とが判別がつかないほど一体となり、家並みは船と見まちがい、マストは煙突と区別がつかなくなっていたのであり、まさしくそこには「外界の事物を、自分が知っている状態の通りに表現しないで、われわれの第一印象が作られるあの視覚の錯誤通りに表現しようとするエルスティールの努力」56)があらわれていたのである。「エルスティールが明らかにするのは、相互的な隠喩の分野であり、絵画という明らかなものにおいて、一方が他方を表すような、とりわけ陸と海のような、異なった二つのものである。」57)しかしながら、この絵画の考察において、プルーストは作品の隠喩的側面に重点を置くあまり、絵画におけるもう一方の重要な要素をまったく考慮していない。「あることが『カルクチュイ港』の描写を注意深く読む読者を驚かせる。色彩に関する描写がほとんど完全に抜け落ちているのだ。」58)
エルスティールの絵画をめぐるこうした隠喩的な考察はまた、「作家が、二つの感覚に共通な特質を関連づけること、または、二つの感覚をたがいにむすびつけることによって、それらに共通の本質をひきだし、それらを一つの隠喩のなかで、時の偶発時からまぬがれさせるであろうときにしか、真の生活と同じく、真実もまた始まらないだろう。」59)という文学に対する考察と、明瞭な同質性を有している。
さて、主人公がエルスティールの絵画を集中的に考察するのは、バルベックでのこのアトリエ訪問だけではない。パリでゲルマント家の晩餐に招かれた折にも主人公はこの公爵家に所蔵されていた数点のエルスティールを前に、別室の晩餐客を大幅に待たせてしまったほど時間を忘れて、考察に没頭する。
[...] ; de nouveau comme Balbec jユavais devant moi les fragments de ce monde aux couleurs inconnues qui nユ師ait que la projection de la mani俊e de voir particuli俊e ce grand peintre et que ne traduisaient nullement ses paroles. [...] Parmi ces tableaux, quelques-uns de ceux qui semblaient le plus ridicules aux gens du monde mユint屍essaient plus que les autres en ce quユils recr斬ient ces illusions dユoptique qui nous prouvent que nous nユidentifierions pas les objets si nous ne faisons pas intervenir le raisonnement.60)
D峻 lors nユest-il pas logique, non par artifice de symbolisme mais par retour sinc俊e la racine m仁e de lユimpression, de repr市ente une chose par cette autre que dans lユ残laire dユune illusion premi俊e nous avons prise pour elle ? Les surfaces et les volumes sont en r斬lit ind姿endants des noms dユobjets que notre m士oire leur impose quand nous les avons reconnus. Elstir t営hait dユarracher ce quユil venait de sentir ce quユil savait ; son effort avait souvent 師 de dissoudre cet agr使at de raisonnement que nous appelons vision.61)
「モネやルノワールと同じく、エルスティールは彼の見るものを描くのであって、彼の知っているものを描くのではない。視覚上の錯覚はそれの最良の例である。」62)というように、バルベックにおいてと同じく、視覚的な錯覚をそのまま再創造することによって、別のもので元のものを表象するというエルスティールの方法を体現している幾つかの絵画を前にした考察の中で、青年期のプルーストが明確な形で意識し、一連の画家論の中ですでに表明されていた基本的な立場、すなわち「いっさいの価値は画家の視線の中にあるのだ。」63)という立場が再び表明される。しかしながら、こうした立場はプルーストが絵画だけを対象にとっていたものではなく、実は文学さらには芸術一般にまで敷延されるものなのである。
Je m'師ais rendu compte que seule la perception grossi俊e et erron仔 place tout dans l'objet, quand tout est dans l'esprit;64)
[...] ce quユil y a de r仔l dans la litt屍ature, cユest le r市ultat dユun travail tout spirituel, quelque mat屍ielle que puisse en 腎re lユoccasion ( une promenade, une nuit dユamour, des drames sociaux), une sorte de d残ouverte dans lユordre spirituel ou sentimental que lユesprit fait, de sorte que la valeur de la litt屍ature nユest nullement dans la mati俊e d屍oul仔 devant lユ残rivain, mais dans la nature du travail que son esprit op俊e sur elle.65)
2-2-2
しかしプルーストの視線というのはそれだけに留まらず、次のアプローチとして視線は事物の彼方を見はるかす、言ってみれば事物という仮象を超えた「イデア」をかいま見る段階に達する。66)「芸術はプラトン的な観点に従って外観の向こう側にまで行くことに存する」67)のである。われわれはこの段階における芸術家像をすでに一連の画家論の中で見た。それはギュスターヴ・モローであった。一部重複するが、改めてモローに対する絵画観を見てみよう。
Un tableau est une sorte dユapparition dユun coin dユun monde myst屍ieux dont nous connaissons quelques autres fragments, qui sont les toiles du m仁e artiste. Nous somme dans un salon, nous causons, tout dユun coup nous levons les yeux et nous apercevons une toile que nous ne connaissons pas et que nous avons pourtant d史 reconnue, comme le souvenir dユune vie ant屍ieure.68)
Le pays, dont les マuvres dユart sont aussi des apparitions fragmentaires, est lユ盈e du po春e, son 盈e v屍itable, celle de toutes ses 盈es qui est le plus au fond, sa patrie v屍itable, mais o il ne vit que de rares moments. Cユest pour cela que le jour qui les 残laire, les couleurs qui les brillent, les personnages qui sユy agitent, sont un jour, des couleurs et des 腎res intellectuels. Lユinspiration est le moment o le po春e peut p始師rer dans cette 盈e la plus int屍ieure. Le travail est lユeffort pour y rester enti俊ement, pour ne pas, tandis quユil 残rit ou quユil peint, y rien m人er du dehors.69)
また、次の引用は一連の画家論と並行した時期に書かれ、のちに放棄された未完の小説『ジャン・サントゥイユ』の中で、プルーストがモローについて考察している部分であるが、評論と小説という違いを越えて、はっきりとここには芸術家の故国という考えが出されている。
Du reste, si vous vouliez t営her de p始師rer plus avant dans ces nudit市 myst屍ieuses, la chevelure tress仔 de lotus, qui sont appuy仔s les yeux pleins de r迅e dans tous les tableaux de Gustave Moreau, ou si vous vouliez mieux conna杯re ces falaises o une statuette sユ四竣e dans une anfractuosit, vous nユy r志ssiriez pas, et vous auriez beau conna杯re en d師ail la vie de Gustave Moreau, causer avec lui de lユart, de la vie et de la mort, d馬er chaque soir avec lui, vous ne p始師reriez pas plus avant dans le myst俊e de leur origine et de leur signification, que lui-m仁e vrai dire ne conna杯 pas davantage et qui lui sont apport仔s pr残ieusement, comme dユ師range fille de la mer, dans les mar仔s de lユinspiration qui lユassaillent. Ce quユil pourrait vous en dire nユaurait trait quユaux circonstances de leur invention, la patrie terrestre de leur fabrication ( tel paysage vu, telle terre cuite admir仔 ) mais non la myst屍ieuse ressemblance qui les unit et dont lユessence, quoique unie son esprit puisque seul il la d使age et seule elle le rejoint et le d四ivre, lui est n斬nmoins inconnue.70)
ここでは、自らの霊感のおもむくままに、自分でも合理的な説明のつかない作品を創造する芸術家、といういささかロマン派的な芸術家像が描かれているが、実際プルーストの描く芸術家たちは、ある時は印象派風、あるときは象徴主義風、またあるときはロマン派的である。
2-3
芸術家は自分の故国というイデア的な世界を否応なく表象しようとする。例えば「フェルメールの同一調はこの実在性、この唯一の世界に従った結果であり、またそれを参照した結果である。」71)のだが、しかしながらこのテーマを典型的に体現しているのは、『失われた時を求めて』では画家ではない。ヴァントゥイユという音楽家である。今までわれわれは「視線」、「画家」と言った主として造形芸術に関する用語を使用して考察を進めてきたのだが、プルーストにあっては絵画、文学、音楽などと言った個別的な芸術の考察は次第に一般的な芸術論に移行する傾向にある。これまで見てきた二つのカテゴリーの考察にしても、最後のアプローチで述べられている芸術家の魂の故国という考えの中には、個別的な芸術を越えた「芸術というもの」ないしは「芸術家というもの」という総合的な視点が見られる。つまりプルーストにとって、芸術乃至その本質というものは同一のもので、その様々なあらわれが文学と呼ばれたり、絵画となったり、音楽と言われたりするだけなのだ、というのが基本的な考えなのだ。「そしてそのとき私はこう自問するのだった、諸作品の間の相違とは、いろんな個性の間にある根本的な、本質的な相違の表現であるというよりも、むしろ仕事の結果そのものではないだろうか、と。」72)
[...] car alors Vinteuil, cherchant puissamment 腎re nouveau, sユinterrogeait lui-m仁e, de toute la puissance de son effort cr斬teur atteignait sa propre essence ces profondeurs o, quelque question quユon lui pose, cユest du m仁e accent, le sien propre, quユelle r姿ond. [...] Ce chant, diff屍ent de celui des autres, semblable tous les siens, o Vinteuil lユavait-il appris, entendu ? Chaque artiste semble ainsi comme le citoyen dユune patrie inconnue, oubli仔 de lui-m仁e, [...] Cette patrie perdue, les musiciens ne se la rappellent pas, mais chacun dユeux reste toujours inconsciemment accord en un certain unisson avec elle ; [...] et quand le musicien, quel que soit le sujet quユil traite entonne ce chant singulier dont la monotonie ― car quel que soit le sujet trait il reste identique soi-m仁e ― prouve chez le musicien la fixit des 四士ents composants de son 盈e. Mais alors, nユest-ce pas que [...] lユart dユun Vinteuil comme celui dユun Elstir le (cet ineffable ) fait appara杯re, ext屍iorisant dans les couleurs du spectre la composition intime de ces mondes que nous appelons les individus, et que sans lユart nous ne conna杯rions jamais ? 73)
この引用を、先の『ジャン・サントゥイユ』からの、あるいは画家論からのものと比べるとき、プルーストの芸術観の基本的な部分は20代からいささかの変化もしていなかったのだということがわかるが、しかしながら、芸術家のあり方は、一連の画家論や『ジャン・サントゥイユ』におけるのよりも、『失われた時を求めて』においての方がより能動的なものとしてとらえられていることがわかるだろう。霊感に襲われると、自分でも何を表現しているのかがわからずに、その波に押し流されるように制作するという芸術家像に比べて、『失われた時を求めて』では芸術家というものが、ベルゴットであれ、ヴァントゥイユであれ、エルスティールであれ、より内省的になっているのである。
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ところで、プルーストが主に書簡の中においてであるが最大級の賛辞を捧げ、そのある作品を「世界で最も美しい絵画」74)と呼んでいる画家がいる。それはこれまで見てきたシャルダンでもレンブラントでもモローでもない。十七世紀オランダの画家、フェルメールである。しかし書簡のなかでこそ熱狂的に語られているこの画家は、『失われた時を求めて』の中では数箇所に登場するに過ぎないし、そのうち作品そのものが取り上げられるのはわずかに一箇所のみである。プルーストが他のいかなる画家にもまして賛辞を捧げたにしては、フェルメールをめぐるこの「沈黙」は奇妙である。物語の発端の『スワン家の方に』において、芸術のディレッタントたるスワンが、当時ようやく評価の高まってきたこの画家の研究に取りかかろうとしているとされるのが、フェルメールの名がわれわれに示される最初の例である。ついで物語の半ば、『ゲルマントの方』で、ゲルマント公爵の滑稽なスノビスムを示す会話の中でこの名が現れ、それから『囚われの女』において、同棲中の恋人アルベルチーヌと主人公の交わす会話の中にフェルメールが、芸術家の作品はある世界の断片なのだという考察の例として登場する。最後は、同じく『囚われの女』の中で作家ベルゴットがオランダ絵画展に病気をおして出かけていき、『デルフトの眺望』の前で発作を起こして亡くなるエピソード。プルーストの紛れもない賛嘆の念と、それにも拘わらず作品中での言及の少なさというこの不均衡は確かに一見奇妙に見える。
しかしながら、文学の寓意たるベルゴットの死というこのエピソードにプルーストがもっとも愛した画家フェルメール、より正確には彼の作品である『デルフトの眺望』が登場したことで、作品中で参照されることがほとんどなかったこの画家が、一挙に作品の核心に位置するものとしてわれわれに示されたのだと理解することができる。というのも、プルーストが死の直前まで、自分の病状をも参考にしながら校正していたとされるこのエピソードは、ベルゴット更にはフェルメールを引き合いに出しながら、芸術家個人の死とその作品の不滅性を語ることで、『失われた時を求めて』の中のもっとも美しいものの一つとなっているからである。
3-0
以上、視線のたどる二つのカテゴリーについて、テクスト引用がいささか長くなるのにも関わらず考察してきたが、それらはあくまでもプルースト的な視線の一般的考察ということで、個別的考察は行われなかった。プルースト的視線の個別的考察、それはこの小説の基本的な主題、すなわち「語り手は物語の終わりで作家となる」75)というすぐれて教養小説的な主題に関わる。先に、特にモローに関して見たように、プルーストの芸術観は存在論的、本質主義的な傾向を色濃く持っているが、それは『失われた時を求めて』の主人公の歩みにも示されている。主人公の歩みは、作家たる天職の自覚に至る、しかしながら失望と無為の感覚の連続とともにある歩みなのだが、その途上で主人公は様々な不全感に襲われる。「見ること」に関する不全感も、その内の最大のものの一つである。『失われた時を求めて』は「見ること」を徐々に学んで行く物語として読みうるが、「見ることを学ぶこと、それは常に、最初に見ているとわれわれが信じているものとは違うものを見ることを学ぶことである。更に言うと、事物のもう一方の側面を見ること、欲望の対象として、喜びや更には享楽の源として予感された、その隠された意味を見ることを学ぶことなのである。」76)マドレーヌ体験や、心情の間歇、作品最後に描かれるゲルマント家のパーティーでの諸感覚などの、ある感覚が呼び水となる所謂「無意志的回想」と呼ばれる全感覚的な回想にまでは達しないものの、あるものを見ることで惹起される「不全感」(あるいは、同じことになるが「幸福感」)の解明は常に主人公の脳裏を去らなかったと言っていいだろう。要するにある感覚が幸福感を呼び覚ますものであれ、不全感を呼び起こすものであれ、それはコインの裏表のような関係であり、「無意識的想起」が完全に行われるか不完全なままでとどまるかという現象に応じた主人公の生理的反応なのである。主人公は、
[...], tout dユun coup un toit, un reflet de soleil sur une pierre, lユodeur dユun chemin me faisaient arr腎er par un plaisir particulier quユils me donnaient, et aussi parce quユils avaient lユair de cacher au-del de ce que je voyais, quelque chose quユils invitaient venir prendre et que malgr mes efforts je nユarrivais pas d残ouvrir.77)
という風に、「見かけの背後に何か隠されていると予感された場所の神秘」78)を幾度となくかいま見ているのだが、ここではその代表的な例として、マルタンヴィルの鐘塔と、ユディメニルの三本の樹のエピソードを取り上げて、主人公における視線の不全とその解明を考えてみたい。
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主人公は母方の里のコンブレーに時折滞在するのだが、その近郊に散歩に出かけることがよくあった。そういうある散歩の帰り、知人の医師の馬車に乗せてもらったことがあった。医師は往診のため、主人公の通常の散歩のコースを外れて遠回りをする形でコンブレーに戻ったのだが、その帰途、マルタンヴィルという村の鐘塔の光景が目に入った途端に、主人公はその光景に魅せられる。それが何かを隠していることを直感したのだ。
Au tournant dユun chemin jユ姿rouvai tout coup ce plaisir sp残ial qui ne ressemblait aucun autre, apercevoir les deux clochers de Martinville, [...]. En constatant, en notant la forme de leur fl縦he, le d姿lacement de leurs lignes, lユensoleillement de leur surface, je sentais que je nユallais pas au bout de mon impression, que quelque chose 師ait derri俊e ce mouvement, derri俊e cette clart, quelque chose quユils semblaient contenir et d屍ober la fois. [...]. Bient冲 leurs lignes et leurs surfaces ensoleill仔s, comme si elles avaient 師 une sorte dユ残orce, se d残hir俊ent, un peu de ce qui mユ師ait cach en elles mユapparut, jユeus une pens仔 qui nユexistait pas pour moi lユinstant avant, qui se formula en mots dans ma t腎e, [...]. [...], ce qui 師ait cach derri俊e les clochers de Martinville devait 腎re quelque chose analogue une jolie phrase, puisque cユ師ait sous la forme de mots qui me faisaient plaisir, [...]. 79)
この鐘塔の印象の与えたほとんど陶酔に近い感情の中で「自分の気持ちを休めるために、また自分に燃え上がった熱狂に素直に従うために」80)、主人公は同行者に鉛筆と紙とを借りて一気に単文を書き上げる。「マルタンヴィルの鐘塔の背後に隠されていたものは、言葉という形で私にあらわれたのである。」81)鐘塔の光景を思い出そうと努力した主人公に、それは言葉という形で示されたのである。その小文を書き上げた後、主人公は非常な幸福感に包まれる。カタルシスが訪れたのだ。しかし、それ以来そのことを主人公はすっかり忘れてしまうのだが、鐘塔の光景が主人公に呼び起こした幸福感の由来は謎のままである。ここで注目すべきなのは、主人公にその光景が、造形的な手段を提供したのではなく、言語という手段を与えて自らを記させたということである。これは主人公の文学という天職の自覚に向かって置かれた里程標といってもいいだろう。
3-1-2
ユディメニルの三本の樹のエピソードでは、しかしながら、主人公はどのような形においても「背後」にあるものをとらえることは出来ないし、いかなる幸福感に出会うこともない。ただ主人公は焦燥感の中であえぐだけである。このエピソードは、エルスティールに出会ったのと同じある年の夏、バルベックに滞在していた主人公が、その近郊を祖母や祖母の友人らと馬車で散策の途中のこととして語られている。主人公は道沿いに三本の樹を認めるのだが、それらが目に入るや否や直ちに、自分の存在が問われているかのような、激しい動揺に見舞われる。それらは形象的には、とりたてて変わっているというわけではない樹々であった。そして主人公自身も、なぜそれらの樹が自分に非常な衝撃を与えたのかがわからないのである。ただ主人公にわかるのは、なぜかそれらの樹の眺めが、自分にとって非常に大事な何かを秘めている、いうことだけなのである。
Nous descend芭es sur Hudimesnil ; tout dユun coup je fus rempli de ce bonheur profond que je nユavais pas souvent ressenti depuis Combray, un bonheur analogue celui que mユavaient donn, entre autres, les clochers de Martinville. Mais cette fois il resta incomplet. [...]. Je regardais les trois arbres, je les voyais bien, mais mon esprit sentait quユils recouvraient quelque chose sur quoi il nユavait pas prise, comme sur ces objets plac市 trop loin dont nos doigts, allong市 au bout de notre bras tendu, effleurent seulement par lユinstant lユenveloppe sans arriver rien saisir. [...]. Je reconnaissais ce genre de plaisir qui requiert, il est vrai, un certain travail de la pens仔 sur elle-m仁e, mais c冲 duquel les agr士ents de la nonchalance qui vous fait renoncer lui, semblent bien m仕iocres. Ce plaisir, dont lユobjet nユ師ait que pressenti, que jユavais cr仔r moi-m仁e, je ne lユ姿rouvais que de rares fois, mais chacune dユelles il me semble que les choses qui sユ師aient pass仔s dans lユintervalle nユavaient gu俊e dユimportance et quユen mユattachant sa seule r斬lit je pourrais commencer enfin une vraie vie.82)
主人公はこの視線の機能不全を受けて、過去の記憶の中にその風景を探る。しかしコンブレーの近辺にも、祖母と一緒に行ったことのあるドイツの田舎にも、他のところにもそういう光景はなかった。そして主人公はそれらを、自分の夢の光景の名残や単なる既視感の戯れではないかと自問する。だがついに主人公の探求は徒労に終わる。しかしそれらの樹は生々しい実在性を持って主人公に迫り、主人公はついにはそれらを擬人化さえして、こう考える。
Je crus plut冲 que cユ師ait des fant冦es du pass, de chers compagnons de mon enfance, des amis disparus qui invoquaient nos communs souvenirs. Comme des ombres ils semblaient me demander de les emmener avec moi, de les rendre la vie. Dans leur gesticulation na夫e et passionn仔, je reconnaissais le regret impuissant dユun 腎re aim qui a perdu lユusage de la parole, sent quユil ne pourra nous dire ce quユil veut et que nous ne savons pas deviner.83)
ここにあらわれているのは、ものは見えているがそれが何なのかわからない、思い出せないという焦燥感、謂わば「視線の不全感」である。「従って、世界はある意味を包み隠しているように思われる。そこでは、普通、視線は何も見分けることができない。」84)形象の彼方にあるものを主人公は予感はしている。しかしそこにたどり着くことは出来ない。
Je vis les arbres sユ四oigner en agitant leurs bras d市esp屍市, semblant me dire : 《 Ce que tu nユapprends pas de nous aujourdユhui, tu ne le saurais jamais. Si tu nous laisse retomber au fond de ce chemin dユo nous cherchions nous hisser jusqu' toi, toute une partie de toi-m仁e que nous tユapportions tombera pour jamais au n斬nt. 》 [...] je ne sus jamais ce quユils avaient voulu mユapporter ni o je les avais vus.85)
鐘塔の光景では、主人公はそれでも自分の印象を「言語」という形で、不完全ではあるが定着することが出来たとはいえ、この三本の樹のエピソードでは、いかなる手段を用いて自分の印象を表したらいいかさえ、主人公は知らない。
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先に見た二つのエピソードにおいては、武藤も指摘しているが86)、鐘塔や樹々といった対象は主人公の位置から見て、それ自体静止した形で主人公の無意志的想起のメカニスムに働きかけたのではなくて、それらの対象はある種の運動性の中に組み込まれて初めて主人公にそうしたメカニスムを発動しうる状態となったのだった。主人公は移動する馬車から対象の相対的な変化を見たのである。しかし、対象が相対的に静止した状態であろうと、ある種の運動性を被る状態にあろうと、プルーストの描く二元論的、存在論的な図式には変化を与えない。
これらのエピソードのみならず、作品の核心部分に存在するこうした図式の中に、文学史的には後期ロマン主義から象徴主義へと移行していた当時の雰囲気の影響を、哲学的には事物の背後に「本質」を見るという伝統的な形而上学の執拗な影響を、それぞれ指摘することはたやすいのかも知れない。しかしながらプルーストにとってこの仮象・本質という図式は外からやってきたものではなくて、体験されたものであったことが確認されている。すなわちプルーストが「短い稲妻のきらめき」87)と呼ぶこうした瞬間、所謂特権的瞬間は、そもそも作者プルーストの日常に時折起こったことなのだ。たとえば友人で音楽家のレイナルド・アーンがN.R.F.のプルースト追悼号(1923年)に寄せている一文がある。プルーストと知り合って間がなかった頃にアーンは、プルーストとともにある友人の田舎に招待されたのだが、その友人宅にある薔薇の生垣のところでプルーストは急に立ち止まり、アーンの存在を閑却したかのように薔薇に見入り、じっと沈思していたというものである。「その後何度私は同じ様な場面に出会ったことだろうか。マルセルが自然や芸術や生と全体的に交感している神秘的な瞬間を、洞察と熱望とが交代する超越的な作業に集中している彼の全存在が謂わばトランス状態に入る〈深い瞬間〉を、私は何度目撃したことだろう。そういったトランス状態においては超人的な彼の知性と感受性が、あるときは鋭い閃きによって、またあるときにはゆっくりとした、だが確実な浸透によって、事物の根源にまで達し、誰も見ることの出来ないもの、今や誰もが永久に見ることの出来ないであろうものを発見するのであった。」88)なお、少年だった主人公が父親と祖父の三人でコンブレーを散歩していた折のさんざしの花の挿話89)は、あたかもプルーストが自分の体験をそのまま移し変えているかのようである。
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『失われた時を求めて』の主人公も何度となくそうした体験をしているのだが、それらの形象の背後に隠されているものの存在の予感を抱きながらも、その度に、それを明るみに出す努力を最初からあるいは中途で放棄してしまう。マルタンヴィルの鐘塔を描いた一文でさえ、自分を幸福感で満たす現象の背後の「何か」の存在はわかっても、何故なのかという謎の解明には至っていない。しかも主人公は、いったんそうした不思議な印象が去ってしまうと、それらが感覚的なものだけにあまり重要性を持たないと思い、自分の追い求めているものとは程遠いものとして、それらを深く追及しようとはしないのであった。内面の声はそれを探求することを求めているのだが、日常的な自我は理知的なものだけが自分の目指すもの、つまり文学にとって必要だと思い込んでいたのである。
Certes ce nユ師ait pas des impressions de ce genre qui pouvaient me rendre lユesp屍ance que jユavais perdue de pouvoir 腎re un jour 残rivain et po春e, car elles 師ait toujours li仔s un objet particulier d姿ourvu de valeur intellectuelle et ne se rapportant aucune v屍it abstraite. 90)
理知的な諸情報こそが自分にとって重要なものであるという主人公の思い込みによって、一時的に主人公の存在を根底から問うてもすぐに忘れ去られていた諸感覚による印象の想起がやがて、スワンのように何もなさないままに芸術の独身者として生涯を終えようとしていた主人公を救うこととなる。しかしそれまで、基本的には真実から目を逸らす生き方が主人公を律することとなる。それを語り手はユディメニルの三本の樹のエピソードの中で象徴的にこう語っている。「まもなくある十字路で、馬車は三本の樹を見捨てた。馬車は、それだけが真実であると私が思っていたもの、私を本当に幸せにしてくれたであろうと私が思っていたものから、私を遠くに連れさって行くのであった。その馬車は私の人生に似ていた。」91)その後、主人公は社会的、感情的、文化的等、様々な習得を行っていくが、時折真実に触れそうになる瞬間を逃し、自分の芸術的才能すなわち文学的才能の乏しいことを嘆き、日々を「浪費」していく。「しかし文学という仕事をする代わりに、私は怠惰、快楽の浪費、病気、気遣い、偏執の中で生きてきたのだった。」92)
3-4
そうした主人公が視線の不全も含めて、あの感覚の秘密を一挙に知るのは作品の最後に描かれるゲルマント家のマチネでのことである。視線の不全はいうまでもなく感覚の不全に連なるものであるが、このマチネにおいては次々に襲う諸感覚による無意志的想起によってもたらされる超時間的な本質の存在を理解することで、視線も含めた諸感覚の不全感は一掃される。諸感覚が何故自分を幸福感で満たしたのか、「芸術家の魂の祖国」を見るとはどういうことかがはっきりと主人公に理解されるのである。
すでに老年に達した主人公は長らくサナトリウムに滞在したのちパリに戻り、ゲルマント家のマチネに出かけていく。そこで彼は次々に押し寄せる無意志的回想の波の中で、初めてそれらをその深さにおいて考察することに成功する。発端は中庭の敷石に足を置いたときの感覚だった。
Mais au moment o, me remettant dユaplomb, je posai mon pied sur une pav qui 師ait un peu moins 四ev que le pr残仕ent, tout mon d残ouragement sユ思anouit devant la m仁e f四icit quユ diverses 姿oques de ma vie mユavaient donn仔 la vue dユarbres que jユavais cru reconna杯re dans une promenade en voiture autour de Balbec, la vue des clochers de Martinville, la saveur dユune madeleine tremp仔 dans une infusion, tant dユautres sensation dont jユai parl et que les derni俊es マuvres de Vinteuil mユavaient paru synth師iser.93)
訳のわからない幸福感、今まで何回か経験した幸福感に包まれながらも、主人公は今度こそはその幸福感の源を探りたいと思う。同じ姿勢をとりながら、主人公は懸命にその感覚の「背後」を見つめようとする。あるイメージが浮かぶがそれはこう言っているようだった。「お前にその力があるのなら、私の通りがかりを捕まえよ。そして私がお前に差し出す幸福のなぞを解くように努めよ。」94)そして過去が浮かび上がる。それはヴェネツィアだった。かつてサン・マルコ寺院で主人公は今と同じ様な姿勢を取ったことがあるのだ。その感覚が現在の感覚の類似により、当時のすべての感覚を伴ってよみがえったのである。だが、その回想の源はわかったが、何故、共通する同じ感覚が主人公をかくも幸福にするのだろうか。主人公はそう自問しながら館の中に入る。すると、部屋の中で召使いの一人がスプーンを皿に当ててしまったその金属音を耳にするや、主人公を同様な幸福感が襲う。めまいのような感覚の奔流の中で主人公はその金属音を、かつて汽車の中で聞こえてきた車輪に当たるハンマーの音であったと認める。その時の状況がそっくりよみがえり、主人公を包み込む。「それからは、まるで、この日、私を失望から引き出し、私に文学への信頼を取り戻してくれる表徴が、自分で懸命に増えていこうと心がけているかのようだった。」95)
3-5
こうして次々に、ある現在に感覚が原因となった過去のある感覚の無意志的想起が起こるが、主人公はそれらの真の「印象」(この言葉はプルーストが好んで使うものの一つである)と、理知的、意志的な記憶の助けを借りながらそれらの場所から思い出したと思った人為的なものとは何の関係もないのだということを悟る。過去の意志的な想起は一つの「解釈」に他ならず、それはいくつもの心的検閲を経て現在のわれわれにもたらされる。そうした「過去のイメージ」は「過去そのもの」とは大きく異なってしまっている。しかしプルーストの言う無意志的想起はそのような取捨選択された過去ではなく、その時の過去をそれを取り巻いていた全感覚とともに蘇らせるのである。そして、自分がそのどちらに属しているかさえわからなくなるほど、現在と過去とに共通する感覚を持っているそれぞれの無意志的想起の出現は言わば超時間の領域で行われたのであり、それを感じ、味わっている存在もまた日常的なレヴェルを離れて「事物の本質によって生きることができ、それを糧として享受しうる唯一の環境、すなわち時間の外に」96)に置かれていたのだと考える。言い換えればそのとき主人公は無意志的想起によって一個の偶然的な存在から一時的に何かしら普遍的な存在に変化していたということである。
Mais quユun bruit, quユune odeur, d史 entendu ou respir仔 jadis, le soient de nouveau, la fois dans le pr市ent et dans le pass, r仔ls sans 腎re actuels, id斬ux sans 腎re abstraits, aussit冲 lユessence permanente et habituellement cach仔 des choses se trouve lib屍仔, et notre vrai moi qui, parfois depuis longtemps, semblait mort, mais ne lユ師ait pas enti俊ement, sユ思eille, sユanime en recevant la c四este nourriture qui lui est apport仔. Une minute affranchie de lユordre du temps a recr試 en nous pour la sentir lユhomme affranchi de lユordre du temps. Et celui-l, on comprend quユil soit confiant dans sa joie, m仁e si simple go柎 dユune madeleine ne semble pas contenir logiquement les raisons de cette joie, on comprend que le mot de 《 mort 》 nユait pas de sens pour lui; situ hors du temps, que pourrait-il craindre de lユavenir ? 97)
そうした無意志的想起による至福の時間をプルーストは、「純粋状態にある僅かな時間」98)、「実在の断片」99)などと様々に表現しているが、それをとらえて観想し、手段は何であれ固定すること、それが芸術家の役割なのだ。このようにして主人公はようやく諸感覚の不全の煉獄を抜け、創造のとば口に立つのである。
En somme, dans un cas comme dans l'autre, qu'il s'ag杯 d'impression comme celle que m'avais donn la vue des clochers de Martinville, ou de r士iniscences comme celle de l'in使alit des deux marches ou le go柎 de la madeleine, il fallait t営her d'interpr師er les sensations comme les signes d'autant de lois et d'id仔s, en essayant de penser, c'est--dire de faire sortir de la p始ombre ce que j'avais senti, de le convertir en un 子uivalent spirituel. Or, ce moyen qui me paraissait le seul, qu'師ait-ce autre chose que faire une マuvre d'art? 100)
その時作家は真の現実から目をそらさず、実在を見つめる視線とともにそれを描かねばならないのだが、すでに一部を引用した次の文章を見るとその方法論というのは、いかにエルスティールが自分の絵画に対して適用していたものに似ていることであろうか。すなわちプルーストの芸術家像においては、彼らは根底のところで同一の方法論を有しており、その最大のものが視覚である諸感覚の不全感を克服したのち、それぞれの内的気質によってあるいは画家と呼ばれたり、作家と言われたり、詩人と形容されたり、音楽家とされたりするのである。
[...], la v屍it ne commencera qu'au moment o l'残rivain prendra deux objets diff屍ents, posera leur rapport, analogue dans le monde de l'art celui qu'est le rapport unique de la loi causale dans le monde de la science, et les enfermera dans les anneaux n残essaires d'un beau style; m仁e, ainsi que la vie, quand, en rapprochant une qualit commune deux sensations, il d使agera leur essence commune en les r志nissant l'une et l'autre pour les soustraire aux contingences du temps, dans une m師aphore.101)
Et alors je me demandais si l'originalit prouvr vainement que les grands 残rivains soient des dieux r使nant chacun dans un royaume qui n'est qu' lui, ou bien s'il n'y a pas dans tout cela un peu de feinte, si les diff屍ences entre les マuvres ne seraient pas le r市ultat du travail, plut冲 que l'expression d'une diff屍ence radicale d'essence entre les diverses personnalit. 102)
註
本稿は平成6年度の経済学部共同研究『文学と絵画』のうち、稿者担当分の論文「プルーストと絵画」で扱った問題点をさらに解明するため、新たな視点からプルーストと「見ること」との関わりを論じたものである。
本稿で使用したマルセル・プルーストのテクスト
A la Recherche du temps perdu [=Recherche と略記 ], 4 volumes, Biblioth述ue da la Pl司ade, 1987-1989. 以下、Recherche からの引用には、プレイヤード版の巻数を示すローマ数字とページ数とを記す。
Contre Sainte-Beuve pr残仕 de Pastiches et m四anges et suivis de Essais et articles , Biblioth述ue da la Pl司ade, 1971. 以下、CSB と略記。
Jean Santeuil pr残仕 de Les Plaisirs et les jours , Biblioth述ue da la Pl司ade, 1971. 以下、JS と略記。
なお邦訳については、先行する各氏の訳業を参考とさせていただいた。
1)CSB, p. 670.
2)Recherche, II, p.220.
3)Philippe Boyer, Le petit pan de mur jaune, 1987, Editions du Seuil, p. 29.
4)「見ること」に関して『失われた時を求めて』では主人公の少年時代のコンブレー近郊のモンジューヴァンにおけるものを最初として、窃視の場面が何回か存在する。サディスムやマゾヒスム、同性愛などに関して現れる窃視場面の存在は興味深いものであり、プルースト的視線の忘れてはならない側面であるが、本稿ではそれら窃視場面の考察は割愛し、他の機会に改めて論じることとしたい。
5)これら一連の画家論はプルーストの生前には発表されなかったものであるが、執筆年代は1895年11月ごろと推定される。Revue hebdomadaire 誌のピエール・マンゲ宛の同年11月末の書簡には、次のような記述がある。 《 Je viens dユ残rire une petite 師ude de philosophie de lユart si le terme nユest pas trop pr師entieux o jユessaye de montrer comment ils sont ceux〈 par qui nos yeux sont d残los 〉et ouverts en effet sur le monde. Cユest lユマuvre de Chardin que je prends dans cette 師ude comme exemple et jユessaye de montrer son influence sur notre vie, quel charme et quelle sagesse elle r姿and sur nos plus humbles journ仔s en nous initiant la vie de la nature morte.》、Correspondance de Marcel Proust, Plon, 1970, tome , p. 446. この書簡はまた、現在プルーストの入手可能な書簡の中で、シャルダンの名が見える最初のものでもある。
6)Michel Erman, Lユマil de Proust , Nizet, 1988, p.56.
7)CSB, pp.373-374.
8)Ibid., p.374.
9)Ibid., pp. 374-375. 「これらの部屋の中に、あなたは、他人の凡俗さのイメージや、あなたの退屈の反映以外の何物をも見ていないけれども、シャルダンはその中にまるで光のように入り込み、そこにあるものの一つ一つに彼の色彩を与える。そして、まなざしにとっては実に輝かしく精神にとっては実に暗く謎めいた彼の形態がふるう意味作用によって、死んだ自然あるいは生きた自然に属するあらゆる存在を、それらが埋められていた永遠の夜の中から呼び出すんだよ。まるで目覚めた王女のように、どの存在も生に戻され、その色彩を取り戻し、あなたと語り始める。生き始め、持続し始めるんだ。」
10)Ibid., p.374.
11)Ibid., p.376.
12)Ibid., p.380.
13)Ibid., p.377.
14)Ibid., p.377.
15)Ibid.,p.380.「一個の梨が一人の女と同じくらい生命に溢れていることを、ありふれた陶器が宝石と同じくらい美しいということを、われわれはシャルダンから学んだんだよ。[…]現実の中に充分に入り込み、その到るところに美を見いだすために、それももはや因習や間違った趣味によって弱められた囚われの美ではなく、自由で強力で普遍的な美を見いだすために、われわれを間違った理想から脱却させてくれたんだ。現実の世界をわれわれに開くことで、われわれを美の海に引き入れてくれるのだ。」
16)Ibid., p.380.
17)Ibid., p.381.
18)Ibid., pp.660-661.「それ(金色のマチエール)はレンブラントの好みであり、彼の肖像画やさまざまな絵がその中に存在しているこの光は、言ってみれば彼の思考の光そのものだ。われわれが独自な考え方で考えるときに、事物をそのなかで眺めるような特異な光とでも言うべきものだ。確かに彼は、それが彼の固有の光であることを、この光の中で何かあるものを見ているときに、そのあるものが、彼にとって豊かで、彼の中に深さに溢れた他のさまざまな観察を生み出すのにふさわしいものになることを見てとった。確かにその時、彼はわれわれが何か高いものに触れて、何かを生み出そうとしていることを示すよろこびを味わっていた。というわけで、彼は、この光と同じように実り多く同じように高くないような他のいかなる光も侮蔑しており、もはやこの光のなかでしか描かないのである。そして彼の天才のこのような特質は、彼の金色のマチエールを見ることがわれわれの中に引き起こすよろこびを通して、われわれがはっきり感じうるものとなる。」
19)Ibid., p. 669.「一点の絵とは、ある神秘的世界の一隅の出現とでも言うべきものであって、われわれはこの世界の他のいくつかの断片を知っているが、それらは同じ芸術家の手になるものなのである。われわれはどこかのサロンで喋っている。突然目を上げると、一枚の絵が見える。われわれの知らぬ絵なのだが、まるで前世の思い出のように、すでにどこかで見たような気がする。宝石や薔薇の花で飾られ、人馴れぬやさしい姿をしたあの馬たち、黒ずんだ青いマントで身を包み、手に竪琴を持った、女のような顔立ちのあの詩人、また、紫陽花で頭を飾り、月下香の枝を押し曲げている、女のような顔をした、まだ髭も生えていないあのすべての男たち、詩人の後についていく、これまた黒ずんだ青に染まったあの鳥、重々しいやさしい歌によって持ち上げられ、巻きついた薔薇の枝をぴんと張っている詩人の胸、さらにまた、こういったものすべてが持つ色彩、何かある色が、それがわれわれの世界で与えられた色ではなく、この絵において与えられた色を示しているような、そういうある世界に属する色彩、さらにはまた、この世界の知的な雰囲気、そこで見られるのはたいていの場合、日没の風景であり、荒涼とした丘の前に神殿が建ち並ぶ。」
20)Ibid., p.667.
21)Ibid., p.667.
22)Ibid., p.668.
23)Ibid., p.669.
24)Ibid., pp.668-669.
25)Ibid., p.670.「芸術作品がまた、その断片的なあらわれであるような国こそ、詩人の魂であり、彼の真の魂であり、彼のすべての魂の中でもっとも根底にある魂であり、彼の真の祖国であるが、彼がそこで生きるのは僅かな時でしかない。そういう理由で、芸術作品を照らし出している光やそこで輝いている色彩やそこで動き回っている人々は、知的な光であり色彩であり人々であるのだ。霊感とは、詩人がもっとも内的な魂の中に入り込むことができるような瞬間なのである。制作とは、そこに全体的に留まり、書いたり描いたりする間にそこに何一つ外から混ぜ合わさないようにするための努力なのである。」
26)Recherche, III, p.877.「ヴァントゥイユの諸作品の同一調を思い返しながら、私はアルベルチーヌに、偉大な文学者たちは唯一の作品以外は決して作らなかった、あるいはむしろ彼らがこの世界にもたらす同じある美を様々な環境を通して屈折することしかしなかった、ということを説明した。」
27)Ibid., III, p.879.「あなたはいつか僕に言ったことがあったけれど、フェルメールのいくつかの絵を見て、あなたによくわかったのは、それらがみんな同じ一つの世界の断片だということであり、天才的な才能で再創造されてはいても、いつも同じテーブル、同じカーペット、同じ女、同じ新しくてユニークな美だ、と云うことだった。」
28)Ibid., II, p. 712.「再び私はバルベックでのように、自分の前にあの未知の色彩の世界の諸断片をもつのであった。」
29)Ibid., III, p.877.「彼(=ヴァントゥイユ)の諸作品は、そうした饗宴のばらばらになった断片、深紅に裂けた破片であるように思われた。」
30)Philippe Boyer, op. cit., p. 29.
31)Jean Pavance, 《Les 残arts dユune vision》, in Petit pan de mur jaune dユapr峻 la vue de Delft de Vermeer , Edition de la diff屍ence, 1986, p. 21.
32)Yann le PICHON, LE MUSEE RETROUVEE DE MARCEL PROUST, Edition Stock, 1990. フランソワ・ミッテランが序文を寄せているこの画集では、プルーストの諸作品や書簡などから実際に存在する40人あまりの画家とその作品65点をとりあげて、関係するテクストとともに載せている。
33)PROUST ET LES PEINTRES, Mus仔 de Chartres, 1991.これは1991年7月1日から11月4日までシャルトル美術館で開催されたプルースト展の大部のカタログであり、マンテーニャに始まりマリ・シェイケヴィッチに至る120点以上の絵画やデッサンが、関係するテクストとともに収められている。これらの画集は、なるほどプルーストが作品で挙げた実際の絵画をわれわれに示してはくれるものの、しかしそれらは、当然のことながら、プルーストの創造した画家であるエルスティールの絵がどのようなものであったかについては、同時代の印象派の絵画を参考として挙げているのみで、ほとんど関与は出来ない。あくまでもそれらを「解読」するのは、作品の読者たるわれわれなのである。
34)Michel Erman, op. cit., p51.
35)Recherche, I, pp. 219-221. 「彼女(オデット)はシスティナ礼拝堂の壁画にある、イェトロの娘チッポラーの顔に似ていることで、スワンの胸を打った。[…]彼は彼女をじっと見つめるのだ。すると彼女の顔や彼女のからだのなかに、壁画の一断片が現れて来るのであった。そしてそれからは、オデットのそばにいるときでも、一人で彼女のことを思っているときでも、彼は常に彼女の顔や体にその壁画の断片を探し求めた。なるほど彼がフィレンツェ派の傑作にとらわれたのは、彼女の中にそれを見出したからにすぎなかったが、それにしてもこの類似によって彼は彼女にもまた美しさを認め、彼女をいっそう貴重なものに思ったのだ。[…]そしてオデットに会うことの楽しみが彼自身の美的教養の中で正当化できることを幸いだと思った。[…]「フィレンツェ派の作品」という言葉が、スワンに大きな効果をもたらしたのである。まるで肩書きのようなこの言葉のために、彼はオデットの映像を、これまでそれが近づいたこともなかった夢の世界に入らせることができ、映像もまた、この世界に入って気高さに包まれた。[…]彼が肉体的な見解に代わりに、ある美学の所与を根底に持ったとき、一方の疑惑は打ち砕かれ、恋は確実となった。」
36)Ibid., I, pp.79-81.「その上っぱりといえば、スワン氏から私がもらっていた写真にあるジョットーの絵の象徴的なある種の人達が着ているゆったりとしたケープを思い出させた。そんな類似を私たちに指摘したのはスワン氏自身で、この下働きの女中の様子を私たちに尋ねる時、彼はこう言うのであった。「ジョットーの《慈悲》はどうしていますか?」[…]パドヴァの「美徳」と「悪徳」が私には身重の女中と同じように生き生きしたものに見え、また女中自身も私にはそれらの絵にたいして劣らないほど寓意的に見えた、というのだから、あの「美徳」と「悪徳」は、それ自身の中に、多くの現実性を持っているに違いなかった。」
37)Ibid., I, p.96.「ああ、そうですか。私が一度ここで会ったことのあるあの少年。ベルリーニが描いたマホメット二世の肖像画に非常によく似ていますね。そう、あれは見ものですよ。あの肖像画と同じへの字の眉毛、同じ鉤鼻、同じ飛び出た頬骨。山羊髭をはやしたらマホメット二世そのものでしょう。」
38)Ibid., I, p.387.「ジルベルトというその名はまた、この公園の子供たちや女中たちのあいだを分けて空に向かってすぎていき、美しい色彩に小さな雲を形作りながら、プッサンの絵の美しい庭の上に丸く浮かび、軍馬や戦車で満ちたオペラの雲のように、神々の生活の表れを詳細に映し出すかのようであった。」
39)Ibid., III, p.765.「[…]、その歓喜はまた、深紅の衣をまとってホルンを吹きならすマンテーニャのある大天使が、テオルボを弾くベルリーニの優しくてきまじめな天使とは違っているように、ソナタの歓喜とは異なったものなのだ。」
40)Ibid., III, p.851.「彼女の鼻、口、目は完全な一つの調和を形作っていた。他のものから引き離された彼女は、まるでパステル画のようで、例えば人がラ・トゥールの肖像画を前にしてものを言ったのと同じように、彼女は人から言われたばかりの言葉を、聞かなかったように見えるのであった。」
41)Ibid., IV, p.518.「[…]、ということは、動脈硬化の生理学的硬直が、このダンディの表情の無感動な端正さをさらに誇張しており、またそれが、そうした顔立ちに、マンテーニャまたはミケランジェロの習作に描かれてでもいたような強度の明晰さ、あまりにも不動性を保っているためにしかめ面とさえ見える程の強度の明晰さを与えていた。」
42)CSB, p.659.
43)Michel Butor, Essais sur les modernes, Gallimard, 1992, p.153.
44)Michel Erman, op. cit., p.60.
45)Recherche, II, p.190.
46)Ibid., II, p.190.
47)Michel Butor, op. cit., p.154.
48)Recherche, II, p.192.「ところが自然をあるがままに、詩的にわれわれが眺めている瞬間、そうしたまれな瞬間から、エルスティールの作品は作り上げられていた。今、このアトリエで彼がそばに置いている海の絵の中に現れた、彼のもっとも頻繁に用いる隠喩的技法の一つは、陸と海とを比較しながら、その間のどんな境界をも消し去っている技法がまさにそれであった。同じ画布の中に黙々と、たゆみなく繰り返されるそうした比較が、その画布に、あのさまざまな形象の力強い統一をもたらしていた。その統一こそ、エルスティールの絵が、ある種の愛好者にそそる感激の原因、時としては明瞭には自覚されない原因なのであった。」
49)Ibid., II, p.712.
50)Michel Erman, op. cit., pp.62-63.
51)Recherhce, II, p.14.「セヴィニェ夫人の書簡は、セヴィニェ夫人が、やがてバルベックで私の出会う画家で、ものを見る私の視像に非常に深い影響を与えたエルスティールと同系の大芸術家であるだけに、今後の私の心を、それだけ強く打つことになるのだ。私はバルベックで気がついたのだが、セヴィニェ夫人はエルスティールと同じように、ものをまずその原因から説明するということをせずに、われわれの知覚の順序にしたがって物をわれわれに表現してみせるのだ。」
52)Ibid., II, p.191.「もちろん、いま彼のアトリエの中にあるのは、ほとんどこのバルベックに取材された海の絵ばかりであった。しかしそこに私が見てとることができたのは、それらの絵の一つ一つの魅力が、表現された事物の一種の変形であるということであって、これは、詩において隠喩と呼ばれているものに似ているのだが、「父なる神」がものに名を付けることによってそれを創造したとすれば、エルスティールはものからその名を取り去る、またはものに別の名を与えることによって、それを再創造しているのであった。ものを示す名は、われわれの真の印象とは無縁な、理知のある概念に呼応するのが常で、理知はそうした概念に一致しないものをすべてわれわれの印象から消し去ってしまうのである。」
53)Michel Erman, op. cit., p.57.
54)Michel Butor, op. cit., pp. 153-154.
55)Recherche, II, p.192.
56)Ibid., II, p.194.
57)Michel Butor, op. cit., p.157.
58)Michel Erman, op. cit., p.59.
59)Recherche, IV, p.468.
60) Ibid., II, p. 712. 「再び私はバルベックでのように、自分の前にあの未知の色彩の世界の諸断片をもつのであった。そうした世界は、この偉大な画家独特のものの見方の投影に他ならず、彼の言葉では全然言い表し得ないものであった。[…]それらの絵の中で、社交界の人々にもっともこっけいに見えたいくつかのタブローが、他のもの以上に私の興味を引いたのは、それが視覚上の錯覚を再創造していたという点であって、その視覚上の錯覚は、もしわれわれが推理力に訴えることをしないならばわれわれは描かれた対象が何であるかを同定し得ないであろう、という証拠をわれわれに示すものなのだ。」
61)Ibid., II, pp.712-713.「したがって、象徴主義の技巧によるのではなく、印象の根源そのものに誠実に立ち帰ることによって、一つのものを再現する、しかも最初にひらめいた錯覚の中でわれわれが取り違えてつかんだ別の物によって元の一つの物を再現する、そうするほうが理論的ではないのか。対象物の表面と容積とは、われわれがその対象を認めたときにわれわれの記憶が押しつけるそれの名とは実際において別物なのである。エルスティールは、彼がいま直接に感じとったものから、すでに知っていたものをはぎ取ってしまおうとつとめていた。それ以前からもしばしばそうであったが、彼の努力は、われわれが視像と呼んでいる推理力のあの集合体を解体してしまうことであったのだ。」
62)Michel Erman, op. cit., p.61.
63)Recherche, II, p.714.
64)Ibid., IV, p.491.「私はすでに理解していたのだが、粗雑な、誤った知覚だけが、すべては対象のなかにあると思わせる。しかしすべては精神のなかにあるのだ。」
65).JS, p.481.「[…]文学作品のきっかけが(あるときの散歩とか、愛の一夜、社会的ドラマなどのように)どれほど物質的なものであろうとも、文学の中にある現実的なものは、まったく精神的な仕事の結果であり、われわれの精神が行う一種の感情的乃至精神的な発見である。従って、文学の価値はいささかも、作家の前に展開される素材の中にはなくて、作家の精神がそれに対して加える仕事の性質にあるのだ。」
66)作中人物たる主人公は、この段階に達して初めて小説の語り手たる可能性をつかみ、自らの物語を書き始めるのだが、それを詳述することは本稿の範囲を越える。
67)Michel Erman, op. cit., pp. 71-72.
68)CSB., p. 669.「一点の絵とは、ある神秘的世界の一隅の出現とでも言うべきものであって、われわれはこの世界の他のいくつかの断片を知っているが、それらは同じ芸術家の手になるものなのである。われわれはどこかのサロンで喋っている。突然目を上げると、一枚の絵が見える。われわれの知らぬ絵なのだが、まるで前世の思い出のように、すでにどこかで見たような気がする。」
69)Ibid., p.670.「このように芸術作品がその断片的なあらわれであるような国こそ、詩人の魂であり、彼の真の魂であり、彼のすべての魂の中でもっとも根底にある魂であり、彼の真の祖国である、[…]霊感とは、詩人がもっとも内的な魂の中に入り込むことができるような瞬間なのである。制作とは、そこに全体的に留まり、書いたり描いたりする間にそこに何一つ外から混ぜ合わさないようにするための努力なのである。」
70)JS, p.478.「もしかりに人が、ギュスターヴ・モローのすべての絵の中で夢に浸った目つきをしてよりかかっている、蓮を編んだような髪をしたあの神秘的な裸の人物たちの中に、いっそう深く入り込もうと思っても、あるいはまた、岩のくぼみに一個の小さな像が立っているあの絶壁をよりよく知ろうと思っても、決して成功することはないであろう。そのためにギュスターヴ・モローの生活を細かく知り、彼と芸術や人生や死について語り合い、毎晩のように彼と一緒に食事をしても無駄であって、そうした画題の起源やその意味などをとりまく神秘の中に、より深く入り込めはしないのである。それに正直なところ、モロー自身にしても、その起源や意味をもっとよく知っているわけではなく、それらのものは奇妙な人魚のように、彼を襲う霊感の潮に乗って、貴重にも彼のところへもたらされたものなのである。かれがそうしたものについて他人に言えることは、それを作り出したときの状況や、創作のごく平凡な部分(どんな景色を見たか、どんな焼き物に感心したか、など)にすぎず、それらに統一を与えるあの不思議な類似とは無関係であろう。そして確かに彼の精神のみがその類似を引き出し、またその類似のみが彼の精神をとらえてこれを解放するのである以上、その類似の本質は彼の精神と一体化しているには違いないが、しかし彼にとってもやはりこれは未知のものなのである。」
71)Giovanni Macchia, Lユange de la nuit , Gallimard, 1993, p.190.
72)Recherche, I, p.539.
73)Ibid., III, pp.760-762.「なぜなら、無意志的なときのヴァントゥイユは、新しくありたいと強く求めながら、自分自身に問いかけ、創造者としての努力のあらんかぎりを尽くして、彼自身の本質の深奥に達していたのであり、そのような深奥では、どんな問いを課せられても、彼自身の本質が、同じ一つの調子、つまり彼自身の調子で、それに答えるからである。[…]その歌、他の人たちの歌とは違う歌、彼の歌ならどの歌にも似ている歌、ヴァントゥイユはそれをどこから学び、どこでききとったのか。芸術家はそのようにして、その一人一人が、ある未知の祖国に生まれついた人間であるように思われる。彼は自分でその祖国を忘れてしまった。[…]この失われた祖国、それを音楽家たちは自分に思い出さない。しかし彼らの各自が常に無意識の内にこの祖国とはある種の斉唱をなしてつながっているのである。[…]そのとき彼はその主題は何であれ、あの特異な歌を歌い出すのであり、その歌の同一調(というのも、とりあつかわれる主題が何であろうと、彼は自己と同一のものにとどまるからで)はその音楽家にあって彼の魂を構成する諸要素が確乎不変であることを証明しているのである。[…]そういう言葉には言いあらわしがたいものを、芸術は、エルスティールの芸術と同様にヴァントゥイユの芸術は、われわれが個人の世界と呼んでも芸術なくしては決してわれわれに知られないであろうあの世界の内的構造を、スペクトルの色の中に顕在化することで、出現させるのではないだろうか。」
74)Lettre Jean-Louis Vaudoyer, le 1er mai 1921, Correspondande de Marcel Proust, tome XX, Plon, 1992, p.226.
75)Jean-Yves Tadi, Proust et le roman, Gallimard, 1971, p.28.
76)Philippe Boyer, op. cit., p. 29.
77)Recherche, I, p.176.「[…]突如としてある屋根が、石の上にある日差しが、ある道の匂いが、私の足を止めさせるのであった。というのも、それらが私にある特別の快感を与えたからであり、また同じくそれらが、私に何かを取り出すように誘っているのにどう努力しても私に発見できないその何かを、私が目にするものの彼方に隠しているように思われたからであった。」
78)Ibid., II, p.78.
79)Ibid., I, pp.177-179.「ある道の曲がり角で、ふとマルタンヴィルの二つの鐘塔を認めて、突然私は、他のどんな快感にも似ていなかったあの特殊の快感を覚えた。[…]二つの鐘塔の先のとがった形、それらの鐘塔の線の移動、その表面にあたっている夕映えを、目に確かめ、心に刻みながら、私はまだ私の印象の奥底に達していないのを感じ、何かがこの運動の背後、この明るさの背後に存在する、それらの鐘塔はその何かを含みながら同時にそれを隠しているようだ、と感じるのであった。[…]するとまもなく、鐘塔の線と、夕日を浴びた表面が、まるで一種の外皮のように破れ、それらの中に隠されていたものが、少しばかり私に姿を見せた。しばらくまえまで私に存在しなかった一つの思考が私にわき、頭の中で言葉の形をとった。」
80)Ibid., I, p.179.
81)Ibid., I, p.179.
82)Ibid., II, pp.76-77.「私たちはユディメニルの方に向かって下った。突然私はコンブレー以来あまり感じたことのなかったあの深い幸福感、とりわけマルタンヴィルの鐘塔が私に与えたものに似たある幸福感に満たされた。しかし今度はそれは不完全のままに留まった。[…]私はその三本の樹をじっと眺めるのであった。よく見るのであった。しかし、それらの樹がどうしても私の精神の力ではつかみだせなかったある何物かを秘めているのを、私の精神は感じるのだ。あたかもそれは、あまり奥に入ったのでわれわれが腕を伸ばし、指を広げて届かそうとしても、それを包んでいるものにたまに軽く触れる程度で何もつかめない、そんな品物に似ていた。[…]私はこの種の快感にすでに出会っていることを読み取るのであった。―この快感はなるほど、思考の上に思考を働かせるある種の精神の努力を要求する。しかしこの快感に比べるならば、これをあきらめさせる投げやりの気楽さなどは実にとるに足りないもののように思われるのだ。対象が何であるかが単に予感されるに過ぎないこの快感、私が自分自身で作り出さなくてはならないこの快感、それを私はまれにしか経験したことはなかった。しかし、そのまれな経験の度ごとに、それまでの長い中間に起こった事柄は、ほとんど重要性を持たないように思われ、この快感の唯一の実在にしっかりと私が結びつくならば、ついには真の生活を始めることができるだろうと私には思われるのであった。」
83)Ibid., II, pp.78-79.「私はむしろそれらが、過去の幻影、私の幼年時代の親しい仲間、共通の回想を呼び出す消え去った友人達なのだ、と思った。亡霊のように、それらは、私と一緒に自分達を連れて行ってくれ、生き返らせてくれ、と私に頼んでいるように思われるのであった。その素朴な、情熱的な身振りの中に、愛されながら言葉を使う力を失った人、言いたいことが相手に通じない、相手も察してくれないと感じる人の、無力な悔しさを私は感じるのであった。」
84)Michel Erman, op. cit., p.56.
85)Recherche, II, p.79.「私は樹々が必死の勢いでその腕を振りながら遠ざかっていくのを見た。それはこう言っているようだった、−君がきょう私たちから読み取らなかったことは、いつまでも知らずじまいになるだろう。この道の奥から努力して君のところまで伸び上がろうとしたのに、そのまま私たちをここに振り捨てていくなら、君に持ってきてやった君自身の一部分は、永久に虚無に没してしまうだろう、と。[…]それらの樹が何を私にもたらそうとしたのか、どこでそれらを見たことがあったのか、それを私はどうしても知ることができなかった。」
86)武藤剛史、『プルースト 永遠と瞬間』、第一章、洋泉社、1994。
87)Recherhce, IV, p.609.
88)Hommage Marcel Proust , Gallimard, 1923, p.40.本稿で使用したのは1991年の再版である。
89)Recherche, I, pp.136-139. このとき主人公は初めてスワンの娘ジルベルトを見かける。
90)Ibid., I, p.176.「なるほどそんな種類の印象は、私が失ってしまった希望、将来作家や詩人になれるという希望を、私に取り戻してくれるものではなかった。なぜなら、それらの印象は、知的価値のない物質、どんな抽象的真理にも無関係なある特殊の物質に常に結びついていたからであった。」
91)Ibid., II, p.79.
92)Ibid., IV, p.618.
93)Ibid., IV, p.445.「ところが、素早く立ち直ろうとして、前のならびから少し落ち込んでいる一つの敷石の上に片足を置いた瞬間に、私のすべての失望は幸福感の前に消えうせた。その幸福感は、私の人生の様々な時期に私に与えられたそれと同じもので、バルベックの周辺を馬車で散歩したときにどこかで見たことがあったように思った樹々の眺めとか、マルタンヴィルの鐘塔の眺めとか、煎茶に浸したマドレーヌの味とか、その他私が語ってきた諸感覚、ヴァントゥイユの最後の作品がそれらの総合をしていると思われた諸感覚によって私に与えられた幸福感だった。」
94)Ibid., IV, p.446.
95)Ibid., IV, p.447.
96)Ibid., IV, p.450.
97)Ibid., IV, p.451.「ところが、すでに聴いたり、かつて呼吸したりしたある音ある匂いが、現在と過去との同時の中で、すなわち現時ではなくて現実的であり、抽象的ではなくて観念的である二者の同時の中で、再び聴かれ再び呼吸されると、すぐさま事物の不変の本質、普段は隠されている本質が解き放たれ、時としてずっと前に死んでいたように思われたが、すっかり死んでいたというわけではなかったわれわれの真の自我が、もたらされる天上の糧を受けて、目覚め、生気を帯びてくるのだ。時間の秩序から解放されたある瞬間が、時間の秩序から解放された人間をわれわれの中に再創造して、その瞬間を感じるようにしたのだ。それでこの人間が、マドレーヌの単なる味にあのようなよろこびの理由が論理的に含まれているとは思われなくても、自分の喜びに確信を持つのだ、ということがわれわれにうなずかれるし、「死」ということがこの人間に意味を成さないこともうなずかれる。時間の外に存在する人間だから、未来について何を恐れることがありえよう。」
98)Ibid., IV, p.451.
99)Ibid., IV, p.454.
100)Ibid., IV, p.457.「要するに、いずれの場合でも、それがマルタンヴィルの鐘塔の眺めが私に与えた印象であれ、マドレーヌの味、または二つの足場の不揃いの無意識的記憶のようなものであれ、問題は、考えることを試みながら、言い換えれば、私が感じたものを薄暗がりから出現させて、それをある精神的等価物に転換することを試みながら、それらの感覚を、それと同じだけの法則をもち、おなじだけの思想をもった表徴に翻訳するように努力しなければならない、ということであった。ところで私にただ一つしかないと思われたその方法は、一つの芸術作品を作ることよりほかの何であっただろう。」
101)Ibid., IV, p.468.「真実は、作家が二つの異なる対象を取り上げ、その二者の関係を設定するであろう瞬間にしか始まらないだろう。芸術の世界では、その関係は、科学の世界で因果律の唯一の関係をなすものに類似している。そのとき作家は、その二つの異なる対象を、美しい文体の、必要な鎖の輪に巻いて、封じ込めるのだ。さらにまた、真実がはじまるのは、真の生活もそうだが、次の瞬間でしかないだろう。すなわち作家が、二つの感覚に共通な特質を関連づけること、または、二つの感覚をたがいにむすびつけることによって、それらに共通のエッセンスをひきだし、それらを一つの隠喩のなかで、時の偶発時からまぬがれさせるであろうときである」
102)Ibid., I, p.539.「そしてそのとき私はこんなことを考えるのであった。真の独創性とは、じつをいえば、偉大な作家が、神のように、自分に固有の、自分だけの王国をおさめているということではないか、またそこには、すべていささかの駆け引きもないのではないか、諸作品の間の相違とは、いろんな個性の間にある根本的な、本質的な相違の表現であるというよりも、むしろ仕事の結果そのものではないだろうか、と。」
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