back
Mの国ぶらぶらレポート#006

ぶらぶらMの国

宮崎県総合博物館「民家園」

宮崎市

ぶらぶら日付:(1997年7月6日)



「ぶらぶらMの国」は、宮崎県内のさまざまな施設や観光地・等を訪ね、宮崎の見所を独自の視点で綴る散策レポートです。
い夏でした…今年の夏は…。
「夏休みになったら…」との子供との約束も果たせずじまいに夏も終わってしまいました。
 今回は、この夏休みに入る前のある日、昆虫採取のためにぶら〜っと、出向いた宮崎神宮の北にある宮崎県総合博物館「民家園」をレポート報告します。博物館駐車場より博物館を裏に回り込んだところに「民家園」がありますが、今回は反対方向の神宮西苑の広場から徒歩で森の中を抜けて行きました。
崎県内各地には、かって、その地方独特の建築様式をもった民家が多数ありました。「民家園」は、そのなかから特色のある4棟の民家を、宮崎県総合博物館園内に昭和47年から昭和53年にかけて移築復元したものです。これらの建物は、今から、約150年から200年前に建てられたものです。このうち「旧藤田家住宅」と「旧黒木家住宅」は国の重要文化財、「椎葉の民家」と「米良の民家」は宮崎県指定有形文化財にそれぞれ指定されています。

旧藤田家住宅(国指定重要文化財)
 旧藤田家住宅は、九州山地中央部に残る民家の古い形式を伝える数少ない建物で、宮崎県北西部の五ヶ瀬町から移築復元したものです。この民家は、県内で確認されたものとしては最も古く「オモテ」と「ヘンヤ」の二つからなっています。間仕切り柱の刻銘によって天明7(1787)年に建てられたことがわかっています。…残念ながら…この間仕切り柱の刻銘のことは、帰ったあとで知ったので、その時確認することができませんでした。…次の機会にでも確認してみようと思います。

旧黒木家住宅(国指定重要文化財)
 旧黒木家住宅は高原町にあった郷土の建物を移築復元したものです。この民家は、宮崎県南西部に分布する分棟型農家の典型で、平入の「オモテ」と妻入の「ナカエ」の2棟からなっています。発見された墨書によって、郡奉行の御用を勤めたことと、天保5(1834)年から2年間かけて建てられたことがわかっています。
 ・土間にある壷などの貯蓄用品 ・炊事用の鍋と蒸し器


椎葉の民家(宮崎県指定有形文化財)
 椎葉の民家は、椎葉にあった清田家住宅を移築復元したものです。この民家は宮崎県北西部に分布する並列型農家の典型で、間取りは部屋を一列に横に並べる形式で、三つの部屋と土間からなっています。また、家の手前には、板縁が通っています。解体中に発見された墨書によって、元治元(1864)年に建てられたことがわかっています。
 …画像未処理のため後日UP予定 =実は…画像が混乱のためどれだか判らなくなっている(^^)
米良の民家(宮崎県指定有形文化財)
 米良の民家は、西米良にあった黒木家住宅を移築復元したものです。この民家は、山間の三段石積みの上に建てられていたもので、外観、間取りなどに古い西米良の農家の形が残されてています。また、がっちりした骨組みの馬屋をもつています。言い伝えにより、文政4(1821)年頃に建てられたとされています。
 ・米良家の内部
 …画像未処理のため後日UP予定 =同上の理由(^^)
 …で? 虫取りに夢中のチビはあんまり関心ないみたいでした…(^^)
 …虫取りはこちら go to The 旧博物館前広場

お便りは:zzz@po.cmp-lab.or.jpまで

Copyright 1996 A.YAMADA All right reserved
Since 1997/01/20 EDT START
Last Change