11月「エイズとともに生きる時代」
〜問われるマスメディア〜

NHKエンタープライズ21
エクゼクティブプロデューサー
池田恵理子

 エイズの取材を始めて足掛け10年になる。制作した番組は30本近くになったが、いくら取材を続けても「これで一区切りついた」と思えない。それは、エイズが貧困、戦争、医療、福祉、売春、性、差別…など現代社会の根本的な諸問題に直結しているため、これらの解決がつかない間はエイズ問題にも終わりがないからである。エイズは社会の最も弱い部分に感染を拡げていく病気であり、エイズに取り組む姿勢によってその社会の質が露わになる。現在、真相究明と責任追求が進行している薬害エイズも、感染した血友病患者だけの問題ではない。国民の健康と安全を守れなかった日本の医療行政・血液産業・医学界の構造自体に及ぶ問題である。エイズは私たち自身と私たちの社会を試している。

◆エイズ・パニックヘの疑問
 私がエイズの取材を始めたきっかけは、1986〜7年のエイズ・パニックだった。当時私は血友病患者の遺伝と胎児診断をめぐる番組を作っていた。HIV感染者の9割以上を血友病患者が占めていた時代である。パニックの発生によって血友病患者への差別や迫害が始まった。そのためインタビュウを済ませていた患者さんたちから「素顔のままでは出演できなくなった」と訴えられて、撮り直しをすることになった。血友病患者は子供の頃から内出血による激痛と死の恐怖にさらされながら生きている。だからだろうか、静かで強く、優しい人が多い。パニックはこの人々を窮地に追い込んでいった。それまでエイズに無関心だった私も、この状況への疑問と怒りにつき動かされてエイズの勉強を始め、パニックの番組を作ることになった。そこで得た結論は「エイズ問題を解く鍵はパニックを起こしている社会の側にある」ということだった。エイズは新しい病気だが、ウイルスの正体や感染経路・感染予防策などはすでに解明されていたので、日常生活での感染はないことは明らかだった。ところがエイズは空気感染でもするかのように、異常に恐れられた。これは社会がエイズに恐怖と猥雑な暗いイメージを与えてしまったからである。
 エイズ・パニックを取材すると、「日本では女性がエイズに絡んだ時、パニックが起こる」ということがわかった。エイズが男性同性愛者と血友病患者など少数の人々の病気と考えられている間は、社会は関心を示さない。ところが風俗産業に従事していたフイリピン女性に感染者が出た(1986年11月・長野)、女性のエイズ患者第1号が発生し、彼女は“売春”をしていたらしい(87年1月・兵庫。この“売春”は事実誤認であることが後の裁判で明らかになった)、妊婦が感染しているから、母子感染の心配がある(87年2月・高知)、という女性患者・感染者の発生でパニックが起こっている。エイズへの恐怖感が強まってデマや噂が飛びかい、患者・家族のプライバシーや人権を侵害する事件が頻発した。魔女狩りに近い感染者探しが行われた。
 このような時、行政・医療・報道の担当官は、パニックを鎮めるためにエイズに関する正確な情報を提供し、患者・感染者を差別や迫害から守らなければならなかった。しかし現実には、この三者がパニックの素を作り、それを拡大して大混乱を招いた。

◆エイズの“社会防衛論”は本当に社会を守るのか
 現代では病人、障害者、老人、子どもなど社会的に弱い立場にある人を、その病気や障害ゆえに差別すれば、人権侵害事件として社会から非難される。ところがエイズの場合は“公益性”を掲げて患者の人権とプライバシーが無視された。何故このようなことが起きたのだろうか。行政・医療・報道の各担当者たちは口をそろえて「日本もたいへんなことになる、と思うと感染者の人権など考えるゆとりがなかった」と言った。日本の社会には買売春が根深く浸透しているため、女性が“感染源”となったとき、多くの男性が不安にかられる。“安全確認”をするためには、危険な“女性患者”を特定しなければならない。つまり「一人の患者の人権より、99人の命のほうが大事」とする論理がその場を支配していた。これがエイズの“社会防衛論”の本質である。
 しかし本気になってエイズの感染拡大を防ごうとするなら、誰もが無理なく抗体検査を受けられ、感染者であっても医療と普通の市民生活が保障されて、安心して闘病できる社会を作ることしかない。エイズのように自覚症状がなく、長い潜伏期間があって、しかも決定的な治療法がない病気では、脅しや強制は逆効果なのだ。「一人の患者の人権を守れなかったら、99人の命も守れない」というのがエイズの現実である。しかし社会が理性を失っていたパニック当時はこの誤った“社会防衛論”が主流を占めていた。
 エイズ・パニックの結果、日本のエイズには「死に至る恐ろしい病気」でかつ「感染が他人に知られたら、プライバシーを暴かれ、社会的制裁を受ける」というマイナス・イメージが付着することになった。これは現在でもまだ払拭されていない。1991〜92年に発生した第2次エイズ・パニックでは、東南アジアから出稼ぎに来ていた女性たちがターゲットになった。そして大騒ぎの後はエイズへの関心が急速に薄れ、患者・感染者への差別と偏見だけが根深く残った。これも第1次エイズ・パニックと同じだった。
 このような悪循環を脱するには、当たり前のようだが「エイズについて知ること」だと思う。無知はとんでもないことを引き起こしてしまう。また私たちの人権意識が高まらなければ同じようなパニックを防げないことは、今年の夏のO-157をめぐるパニックをみても明らかである。私は神戸の取材で、エイズ・パニックの渦中でも冷静で抑制した報道を心がけていた記者やディレクターが少数いたことにも気がついた。彼らに共通していたのは、日頃から障害者や在日外国人、ハンセン氏病の問題などに関心を持ち、人権問題をよく取材している人たちだった。これは希望の持てる、示唆に富んだ発見だった。
 こうして私は「初動の誤りを犯したマスコミは自らの責任において、エイズヘの差別や偏見を取り除かなければならない」と厳しく指摘する感染者たちに背中を押されるように、エイズの番組を作り続けることになった。

◆立ち上がる感染者たち
 日本のようにエイズに対する偏見や差別が根強く存在する社会で、HIV感染者として生きていくのは、たいへんなことである。もし感染が周囲に知られたら、職場や地域社会から排除される恐れがある。生活の糧を失うばかりでなく、家族からも切り捨てられる可能性もある。医療の確保も簡単ではない。感染者であるということで、病気に倒れるより前に社会的な生命を抹殺されてしまうかもしれないのだ。現に家族から絶縁され、仕事を失い、大都市に流れて日雇い労働者となって亡くなっていった人もいる。しかし多くの感染者は、家族や周囲の理解をえて看護を受け、普通の暮らしを続けている。エイズが自分の家族や恋人など身近な人に発生した場合、ほとんどの人はそのショックから立ち直ると同時に、エイズについて猛勉強を始めている。するとそれまで目分が持っていたエイズについてのおどろおどろしいイメージや、感染経路についての誤解が解けていく。感染者やその家族はしばしば「エイズは患ってみるとたいした病気ではない」と言う。無知ゆえにエイズを必要以上に恐れている社会が病んでいるのだ、と気がつく。すると彼らの中から、社会を変えてく闘いを開始する人たちが出てくる。
 私は1989年に日本人のHIV感染者として初めて名乗りをあげ、亡くなるまでエイズの啓蒙活動を行い、エイズ薬害訴訟に立ち上がった赤瀬範保さんとともに何回も番組を作った。彼は自らの内なる差別についても厳しく、「私たち血友病患者は構造的な薬害の被害者だ」と裁判闘争の先頭に立っていたが、「感染者の人権が守れるかどうか、日本の民主主義が問われている」と、性感染の同性愛者や異性愛者との連帯も求めていた。
 日本では始めの頃、感染者の大半を血友病患者が占めてきたため、性行為による感染者にあまり関心が払われなかった。医療従事者やHIVのボランティアの中にも「性行為による感染者は自業自得だから」と、感染経路によって差別する傾向があった。また「同性愛者への偏見は乗り越えたが、買春行為による感染者への対応に苦慮している」と訴える関係者もいた。感染者への区別や差別はいけないと知りつつ、自らの性意識との折り合いのつけ方が難しいのだ。私自身、「買春は性暴力である」と考えているので、実際に買春行為による感染者に出会う時にはかなり身構えていたことも事実である。「どのような感染者にも等しく医療やケアを受ける権利がある」ときっぱり思うようになったのは、何人もの感染者とその家族との出会いを経験してからだった。
 エイズは性行為感染症であるために、私たちの性意識や性行動を浮き彫りにしてしまう。日本の社会は性について自由に語りあう言葉と風土を十分には持っていないから、エイズを語るにも多くの困難が伴う。しかし私たちは買売春をどうなくしていくか、多様なセクシュアリティの容認、性教育のあり方、などの大きな課題を抱えつつ目の前の感染者に対応していかなければならない時代に突入している。

◆「エイズとともに生きる」とは?
 エイズは単なる難病の一つである。それは若者に急激な老化がやってくる病気でもある。私たちは誰でも老いと共に病気がちになり、体に障害が出てくる。エイズも同じで、発病すると免疫力が落ち、失明や手足の障害、中には痴呆になる人もいる。これらはいずれも老人になると現れる体の衰えだ。だから、エイズ患者が暮しやすい社会は、老人や病気・障害を持った人たちにも暮しやすい社会なのだと思う。この病気が難病の一つとして理解され、患者や感染者が普通の病者として闘病できるようになった時、社会は誰にとっても豊かで快適になるはずである。時々、「日本にはほんの数千人しかいないエイズ患者のために、マスコミは大騒ぎしすぎる」という声を聞く。エイズ患者・感染者が苛酷な状況に置かれているからエイズは社会問題になっているのだが、感染者にとって良い医療や福祉が実現することは、日本社会全体に良い波及効果をもたらすだろう。と同時に私たちの人権意識を高め、性意識や性行動を問い直すきっかけも作るのではなかろうか。
 世界中の国々がエイズ患者の増加に苦しんでいる。エイズ対策には巨額の資金が要る。日本を含めた豊かな国々の援助が求められている。しかし私たち一人一人にできることもいっぱいある。何よりもまずエイズを知ること。「エイズ・ウイルスの感染を広げるのは戦争と貧困と無知だ」と言われるが、まず関心をもってエイズを知ろうとすることが第一歩だと思う。そして闘病している患者・感染者の声に耳を傾ければ、さらに多くのことを学ぶようになる。自分の死を見据えながら生き、最後まで希望を失わず、愛する者のために力を尽くそうとする人々は、「生きるとは何か」を無言のうちに伝えてくれる。少なくとも私はこのような人々の傍らにいつづけて、人間の素晴らしさを教えられた。
 彼らとともに歩むことができた年月を、誇らしく思う。
参考文献

「そしてエイズは蔓延した」 ランディ・シルツ (草思社)       1991年
「あたりまえに生きたい」 赤瀬範保 (木馬書館)           1991年
「エイズ 死ぬ瞬間」 エリザベス・キューブラー=ロス (読売新聞社) 1991年
「愛より気高く エイズと闘う人々」 ドミニク・ラピエール(飛鳥新社) 1993年
「エイズと生きる時代」 池田恵理子 (岩波新書)           1993年
「人類にとってエイズとは何か」 広瀬弘忠 (NHK出版)       1994年

参加者アンケートより

 報道されて自分が知っているわずかな知識が、今日のお話でつながったり、広がったような気がしました。自分ができることは何かを考える機会になりました。

マスコミは何でも大きく騒ぎ立てるというようなイメージを今まで一般的に持っていた。しかしながら、自分の知らないところで、少ないながらもひじょうに重要な問題に昔から取り組んでいたのだということを痛感した。

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